「親鸞 いまを生きる」を読みました。
本のカバーには、五木寛之の「親鸞は十三世紀のドストエフスキーである。この対話の意義は大きい。」と大きく掲げてあります。カバーの裏には、以下のようにあります。
わが身の愚かしさ、罪深さを悩みぬき、
大きな「はたらき」にいかされていることに気づく――。
七五〇年の時空を超えて、いまに生きる『親鸞』。
政治学者で「悩む力」の著者、姜尚中氏、
精神世界に深い関心をもつ作家、と田口ランディ氏、
親鸞仏教センターの本多弘之所長の3人が、
自らの経験に根ざし、その思想を縦横にかたる。
この本をつくるきっかけとなったのは、2009年3月21日、東京国際フォーラムで開かれた「親鸞フォーラム」(主催:真宗大谷派、朝日新聞社)でした。フォーラムは、作家の五木寛之さんの講演「人間親鸞のすがた」に引き続き、シンポジウム「悩む力・生きる力」があり、パネリストとして姜尚中さんと田口ランディさん、本多弘之が登壇しました。シンポジウムは時間や場の制約がありましたが、これを出発点に新たに個別にインタビューや、対談などをして補ってまとめたのが、この朝日新書です。・・・編集の過程で、2011年3月11日に東日本大震災、福島原発事故が起こり、日本人のこころを大きく揺さぶりました。・・・最終章には、筆者に3・11以後の思いを書き下ろしていただきました。(「あとがき」より)
たまたま僕は、姜尚中と田口ランディの講演を聞いたことがあります。姜尚中の講演は、昨年9月、世田谷文学館で開催された「知の巨匠加藤周一ウィーク」の第2回目、姜尚中の「戦争の世紀を超えて―加藤周一が目指したもの」ででした。また田口ランディの講演は、つい先日、11月5日、中野サンプラザで行われたフォーラム「アール・ブリュット―生(き)の芸術―」のなかの田口ランディの講演「アール・ブリュット 魂の甦る場」でした。
近年、親鸞に対する再評価の気運が高まり、五木寛之の単行本「親鸞」は爆発的に売れたようです。つい最近、文庫化されたので、さっそく購入しましたが、まだ読むには至っていません。丹羽文雄の単行本「親鸞」(上・下)を、30数年前に読んだ記憶があります。その本は、押し入れの奥に眠っていると思います。また現在、東京国立博物館平成館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展が開催されています。来月の4日までなので、早く観に行かないと終わってしまいます。法然800回忌、親鸞750回忌の特別展、だそうです。
さて、「親鸞 いまを生きる」ですが、姜尚中、田口ランディが話をすると、それを親鸞に引き寄せて解説するように本多弘之が語り、そして最終章には3・11があったことにより、新たに付け加えられた3人の文章が載っています。親鸞の教えで有名なのは、しかし難しいのは、やはり「言葉」です。例えば「他力本願」という言葉、現代では「人の力を借りる」あるいは「人に依存する」という意味で使われていますが、阿弥陀仏の本願力によって浄土への王城が確かになるという、浄土真宗の基本となる考えをいう、というように本多は一つ一つ丁寧に解説します。
姜尚中が書いた「悩む力」が爆発的に読まれたということから始まったこのシンポジウム、現代の深い苦悩の状況を生きる人びととともに、「悩むこと」の大切さを考え直してみようということでした。親鸞は鎌倉時代の初めの混乱期に、90歳という長寿で生き抜かれました。日本の仏教の考え方に、革命的ともいえる方向を開きました。彼の残した言葉と足跡は、800年の時代を超えて、現代文明のただなかを生きる私たちにも、大きな開放感を与える力を持っています。その原点は、どこまでも忠実に自己自身の「こころ」を見つめ続ける態度にあるのだと、本多はいいます。
「親鸞(上)」
2011年10月14日第1刷発行
講談社新書
著者:五木寛之
発行所:講談社
2011年10月14日第1刷発行
講談社新書
著者:五木寛之
発行所:講談社
親鸞聖人七百五十回忌
特別展
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」
東京国立博物館平成館
10月25日(火)~12月4日(日)
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