文京区音羽の講談社社内講堂で開催された「第7回大江健三郎賞・大江健三郎と本谷有希子の公開対談」を聞いてきました。メモしたものを、以下に書き留めておきます。
大江:本谷有希子の「嵐のピクニック」は、短編小説として、現代の日本文学の中で、しかも、一つ一つの小説の文章の作り方が違っていて、いろんな文体がよく考えられている。この作家の超えている力量が感じられる。女性の作家の作品が現れて、この賞を受けられた。全体は13篇からなっています。最初の短編、「アウトサイド」、無駄な言葉がなくて、文章もしっかり書かれている。少女の話だが、ほんとうにうまく書かれている小説だと思った。本谷さんに、短編の一部を読んでいただく。
本谷:「群像」から話があって、短編は初めての試みで、どうせ書くならできるだけ多くということで、13本書いた。「アウトサイド」は、先生に逆らう話です。先生はすごく優しいが、ある時、手首が下がってしまう少女の手の下に鉛筆を立ててレッスンをすることになる。―読む―大人の持っている狂気に触れたと思う瞬間で、少女は「この女の人は大人なんだ」と人生を理解します。
大江:この先生には何らかの事情のあるお母さんがいる。ピアノを習いに来ているのはごく普通の女の子。長い間ピアノが進展しないのは、手首が下がってしまうから。鉛筆が立てられてピアノを弾き始めると、瞬く間に200曲ものレパートリーが増える。先生はご主人とうまくいかない、家庭は崩壊して離婚します。危機感、クライシス。立派なグランドピアノにお母さんを閉じ込めて、その上に重しとしてピアノの教則本を載せてある。先生がいなくなってから、少女は17歳で子供を産み、親から追い出された。私も子どもをお腹に閉じ込めている。人は何らかの形で閉じ込められている。一人の少女がどのような人生を送っていくのか。いい短編です。これは10ページだが、次にもうちょっと長い「哀しみのウェイトトレーニー」を。
本谷:これは少し音楽が聞こえるような短編です。夫が自分に無関心の主婦。夫がテレビでボクシングを見ている。次の日からボディビルダーを目指してウェイトトレーニングを始めます。プロティンを飲んで、体も変わってゆくが、夫だけは彼女の変化に気がつかない。夫がトレーニングジムに来てガラスをトントンと叩く。―読む―夫に無関心でいられる主婦じゃないね。
大江:ビギニ、トレーニングするための小さいビギニ姿のまま、家を出て行く。駅二つ歩いて行ったらどうなるのか。ジムでポーズをつくる妻を見て、夫は哀しみを表している。小柄な夫と筋肉質の大柄な私が、一緒に帰って行く。
本谷:(質問)エンターテインメントをどう思いますか。この本を読んで、個性と多様性があると言いましたが、大江さんにとって、小説のエンターテインメントはどうでしょう。
大江:(答)ヨーロッパの小説に出てくるようなものを読むのは好きです。自分はエンターテインメントとして書いたことはない。書こうと思ったこともない。
本谷:書けば書くほどエンターテインメントから離れて行く。心掛けていることは、高校生でも、誰が読んでも分かるようにと。
大江:一行だけ、分からないところがある。「私は思春期で、自分のために溢れ出てくるあらゆる想像を爆発させないようにするだけで精一杯」という箇所。
本谷:先生がどういう事情で家にピアノを入れてピアノを教えているのだろう、と子供心に思った。
大江:面白い短編をつくろうとして書いているのか。
本谷:頭で考えないで、身体的に、無意識の部分を出して、自分は空っぽになって、即興性で書いていく。
大江:即興性というと「アウトサイド」で、トレーナーに訴えるが、トレーナーは聞かなかったことにする。トレーニングのポーズをする。夫はそれを見ている。「いかにして私がピクニックシートを見るたびに、くすりとしてしまうようになったか」を読んで、笑うようになったか。実に奇想天外は話。試着室がある。小さな部屋です。そこに入った女性客が3時間も入ったまま。店員が声をかけると「あ、いま着替えています」という。「お客さま、どんなサイズを着てますか」。夜7時の閉店時間になっても、翌朝になってもそのまま。「うちにはもうないから他の店へ」。試着室を押して別の洋品店へ行く。坂道の上で手を離してしまう。女の人が手を振って終わります。編集者にこんな小説、言えますか?即興性、そういうところが小説の面白さを表している。小説には即興性が大事です。
本谷:(質問)即興性は、短編にも長編にも必要なのか。
大江:長編小説でも、即興性が大事。フランシス・ベーコンという、画家と同じ名前の哲学者がいる。即興性、偶然性が必要だ。偶然性を彼はアクシデントと言っている。いいものにするためにはアクシデントが必要であると。偶然によって仕事を始める、が、それを書き直していく。最初の構想などないのだと言う。書き直していくと自分がなにを表現したいのかが分かってくる。ベーコンはこう言っている書き直している間に小説ができてくる。その間に批評性が入る。私の長編小説もこうして書いている。創り上げていく、それが文学だと。
本谷:「破綻」するか。私は破綻させるのが好き。劇ではどういう意味の破綻なのか、話し合っていく。
大江:あなたは演出家でしょう。小説は一人で書いている。
本谷:常識にとらわれず、書いていく。ここは伝わらないという所は直していく。
大江:あたたから何度か出た言葉、「反復する」という言葉、繰り返し。一つのイメージを繰り返す。繰り返すことによってものをつくる作業。繰り返しをつくる「ズレ」が文学をつくる大切なこと。意識的に書き直す。意識的にずれる。すっかり新しくなる。
本谷:作家としてこの10年間、自分というのにこだわってきたが、オリジナルなものをどんどん手放そうとしている。
大江:僕は偶然から始めた。田舎の中で、松山の本屋で、フランス文学に出会った。渡辺一夫先生。試験を受けたが、全然分からなかったので、受験生に分かるような問題をつくるのが先生の役目だと言った。東大新聞に「奇妙な仕事」が載りました。大学の近くの喫茶店に行ったら、東大新聞を先生が読んでいた。友人がこれを書いた人はあの人ですと先生に言った。先生の授業には出ていたので、先生は顔を覚えていた。「大江君、きみはこの方向へ行くの?」と行った。私はフランス文学の学者になりたかったが、「はい、私はこの方向に行きます」と、つい答えてしまった。それから50年、自分のことだけを書いている。それが人生の失敗だった(笑)。作家として、自分とは違うものを書いていくということは作家としていいと思う。
本谷:自信を持って進んでいきます。
大江:「個人的な体験」で変わった。あなたはこれからですから、多面的に進む必要がある。ミラン・クンデラ、その人の生き方を見ていると、自分にこだわってきたけど、それを突破する力がある。いまの道を進んでいかれることはいいと思う。
本谷:「万延元年のフットボール」を読んで、登場人物の言葉が印象に残っている。
大江:294ページに書いてある。弟は自殺、兄は生き残っている。作家としてものを書こうとするときに、一人の人間として市民生活は送れないが、小説の中では危険なことでもなんでもできる。「万延元年の・・・」の中で、小説は架空のもので、小説家にはなにもできない、と若い頃に言ったが・・・。小説を書き終わろうとした年代になると、フォークナーとかミラン・クンデラとか、小説なんですが、小説を読む人間として勇気づけられる。
会場からの質問:本谷の文章が一人称は平面的だが、立体的な一人称になっていろことについて。
本谷:「私」を使うことには注意している。感覚的に「音」として書いている。重みを出すようにするときには、三人称で書くこともある。
会場からの質問:「文学の言葉」がキーポイントだと思うが、大切なものとして大江がどこかで言っていた「詩」が大事だと。今までの受賞作の中に詩の受賞作がないのはどういうことか。
大江:オーデンやエリオットなどの詩は好きです。突き刺さってくるものを「詩」と考えている。大江賞は7回やったが、僕にとってはいい詩にまだ出会っていない。結果として「散文」で選んだ。去年の受賞作と今年の受賞作は散文だが、まったく違うもので、両方とも素晴らしい。
会場からの質問:小説とはなんですか。
大江:小説を書かなければ、生きて来れなかった。こういう状態にいます。
本谷:私は、「小説を書かなければ・・・」と思ったこともあったが、今は自分の中で感覚が違ってきた。自分の中でも考え続けている。
会場からの質問:才能があるとは、その特徴は。
大江:「嵐のピクニック」を読んで、本当に才能があると感じた。しかし、考えてみると、僕が入れ込んでいる、たとえばミラン・クンデラのように、才能以上のものを感じる。自分にとって才能が一番大事かというと、才能がないままに書いてきた。才能を超えたところに「小説」があると思う。武満徹、才能がある人だが、才能を超えている。
本谷:私も昔は才能に・・・。書けば書くほど、才能で書いている人はいないんじゃないかと思うようになった。才能はちゃんと考えなくていいんじゃないかと・・・。
会場からの質問:(質問ではないが)25年ほど前に、千葉県の障害者の集会で、大江さんから「あなたは生涯を受け入れて生きていく」といわれて、いままた大江さんにお会いできて大変公営です。ありがとうございました(会場から拍手)。
「大江健三郎賞」とは
1957年「奇妙な仕事」で鮮烈なデビューを飾った作家・大江健三郎は、その旺盛な創作活動によって、常に日本文学をリードしてきました。また、1909年創業の講談社は、出版文化を通じて、世界の人々との相互理解を深めるべく、微力を尽くしてまいりました。大江氏作家活動50周年、講談社創業100周年を記念するにあたり、日本文学に新たな可能性をもたらすとともに、世界文学に向けて大いなる潮流を巻き起こすことを目的に、「大江健三郎賞」は2006年に創設されました。
・選考委員:大江健三郎
・選考基準:大江氏が、可能性、成果をもっとも認めた「文学の言葉」の作品を選
び、受賞作とする。なお、選評の代わりとして、大江氏と受賞作家との
公開対談を行い、「群像」誌上に掲載する。(公募はしておりません。)
・賞 :受賞作品の英語(あるいはフランス語、ドイツ語)への翻訳および世界で
の刊行
・対象作品:毎年1月から12月までの1年間に刊行された作品を選考対象とする。
・主催 :講談社
「文学の言葉」を恢復させる 大江健三郎
いま情報テクノロジーの支配する社会で、もっとも痩せているのが、「文学の言葉」です。「ケータイ」とインターネットの表現が、この国の人間の表現をおおいつくす時代が遠からず来る、それが老作家のペシミズムです。しかも、そこに大逆転の時がありうる―世界的にその徴候が見えている―という思いも棄てられません。
そうなれば、若い層から実力のある働き手の層にまで、知的で柔軟な、言葉の革新をなしとげる新種族が登場するはず、と私は信じます。その革新の手がかりとなるのが、この国の近代化でつねにそうであったように「文学の言葉」だと続けると、我田引水にすぎるといわれるかも知れません。しかし、漱石のみならず、諭吉も、まず「文学の言葉」の人だったと考えて、かれらのもたらした流れを辿り直してはどうでしょうか?
私は永く「文学の言葉」で生きてきました。そしていま、社会の表現と認識の言葉をリードしてゆく層の人たちが、「文学の言葉」と無縁になっているのを実感します。また外国の知識人が、日本の知識人の言葉をどこに見出せばいいか、戸惑っているのにも気付きます。
私は自分の晩年の仕事をやりながら、T・S・エリオットの「老人の愚行(フオリー)」という言葉に挑発されていました。生きている内に自分の名の文学賞を作るなど、その一種ですが、死んでからではやることができないと思いきって引受けました。私は、いまも注意深く見れば創られている、力にみちた「文学の言葉」を、知的な共通の広場に推し立てたいのです。上質の翻訳にして世界に向けても押し出します。
そして、この国でも海外でも、あの「文学の言葉」に共感した、ということが相互理解のきっかけだった、善き時代をよみがえらせたいとねがいます。
「劇団本谷有希子」Website
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2012年6月27日第1刷発行
著者:本谷有希子
発行所:講談社