神宮外苑にある「聖徳記念絵画館」、その中に初めて入りました。神宮外苑の絵画館とい言えば、「イチョウ並木」は毎年のように秋になりイチョウが色付いた頃に落ち葉を踏みしめながら観に行っています。その突き当たりにあるのが、中央部にドームをのせた左右対称のクラシカルな建物で印象的な「聖徳記念絵画館」です。まさに外苑のシンボルです。正直言って、今まで「明治天皇」ということで、絵画館へ行くのをずっと躊躇していました。
行ってみようと思ったきっかけは、昨年江戸博で開催された「維新の洋画家 川村清雄展」で、日清戦争で鹵獲(ろかく)した清国の旗や兵装、調度品類を描いた「振天府」の下絵を観てからです。その「振天府」が聖徳記念絵画館に展示してあることを知って、是非とも観てみたいと思いました。思っていた以上に収穫がありました。なにしろ当時の一流画家たちが、日本画40枚、洋画40枚、計80枚の絵で腕を競っていました。当然、史実に基づいた歴史的な場面が描かれており、当時の歴史を知る上でも、貴重な機会となりました。歴史画というと暗い過去の陰鬱なイメージがありましたが、そうではなく、展示室も、明るく、そして観やすく、気持ちのいい空間でした。
重要文化財「聖徳記念絵画館」
所在地:新宿区霞ヶ丘町1番1号
設計者:明治神宮造営局
竣功年:大正15年(1926)
明治神宮外苑の中心的建造物、聖徳記念絵画館は、明治天皇、昭憲皇太后の御事跡を永く後世に伝える壁画を展示することを目的に建設されました。設計は一般公募され、一等当選の小林正紹氏の図案に基づき明治神宮造営局(佐野利器、小林政一)が修正を加え完成したものです。重厚な外壁は岡山県万成産の花崗岩張り、中央頂部に象徴的なドームをのせ、左右対称両翼部の2階が和・洋大壁画(縦3m、横2.7m)80枚の展示室となっています。正面階段よりアーチ型の玄関を入るとドーム天井の大広間には、国産大理石のモザイク床、石膏レリーフ装飾などが配され、我が国鉄筋コンクリート造の初期建造物として意匠的、技術的にも建築史上大変貴重な建築物であります。平成23年6月20日付で明治神宮の宝物殿とともに国の重要文化財に指定されました。
聖徳記念絵画館 壁画
明治天皇ご在位46年間の明治時代は、あらゆる分野において近代化への大きな飛躍を成し遂げ、様々な文化が花開きました。明治神宮外苑のシンボルともいえる聖徳記念絵画館には、明治天皇、昭憲皇太后お二方の御事跡を描いた壁画80枚が、延べ250mの壁面に展示されています。展示されている壁画は、この輝かしい時代の勇姿と歴史的光景を、史実に基づいた厳密な考証の上で描かれており、それぞれの壁画にゆかりの深い団体や個人から奉納されました。当時の一流画家による優れた芸術作品であるとともに、政治・文化・風俗の貴重な歴史資料としても高く評価されています。
川村清雄「振天府」下絵
若干の略筆はあるものの、完成作にほぼ忠実な下絵である。画面手前中央を占めるのは日清戦争で鹵獲(ろかく)した清国の旗や兵装、調度品類。中景冗談はそれら収蔵品の搬入の様子、その右手に見えるのは軍旗を掲げて進軍する日本軍であり、最上段右隅には白馬を駆る童子と白鳩とが描かれている。(「維新の洋画家 川村清雄」展、図録より)
「樺太国境画定標石」
時:明治39年6月~40年10月
所:樺太日露境界
明治37、8年の日露戦役の講和条約でカラフトの北緯50度以南は、日本の領土となりました。その境界を標示するため、日露両国委員は、明治40年9月4基の天測標と17基の小標石を建てて境界を画定しました。この境界標石は、外苑創設に際し、明治時代の一つの記念物として、樺太庁が之を模造し外苑に寄贈したものです。・・・また、聖徳記念絵画館の壁画「樺太国境画定」(安田稔画)には、両国委員が境界線を建設する光景を史実に基づいて描いた絵画が展示されています。
「明治神宮外苑聖徳記念絵画館 壁画集」
重要文化財「聖徳記念絵画館」
リーフレット