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国立西洋美術館で「ラファエロ」展を観た!

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ラファエロの最高傑作と言われている作品は、ヴァチカン宮殿の一室「署名の間」に描かれた「アテネの学堂」でしょう。完璧な遠近法に基づいて描かれた巨大な建物に、さまざまな時代の50人以上もの哲学者や科学者が集う空想的な情景が描かれたフレスコ画です。中央で議論するプラトンやアリストテレス、ヘラクレイトスら、古代の賢人が描かれている一方で、ラファエロは古代の賢人に同時代の芸術家たちの姿をまとわせています。プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチに、ヘラクレイトスはミケランジェロモデルに描いています。また画面の右端の若い男はラファエロ自身、つまり自画像だとされています。僕はヴァチカン美術館には2度行きましたが、2度とも「署名の間」をスルーしてしまい、残念でなりません。数年前、玉川学園に「イコン」展を観に行った時に通過した高学年校舎の大ホールに「アテネの学堂」が描かれていて驚いたことがありました。たぶん原寸大だろうと思いますが・・・。


ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)は、イタリア北中部のウルビーノに生まれます。父親はウルビーノの著名な宮廷画家、幼い頃から父親から絵画の手ほどきを受けます。しかし、8歳で母を、11歳で父親を亡くします。その前後に、ペルジーノの工房に入ります。ペルジーノはレオナルド・ダ・ヴィンチとともにヴェロッキオ工房で修業した、鮮やかな色彩と優美さが特徴の画家です。その後、17歳で「親方」の資格を得て工房を構えます。

21歳でフィレンツェへ出たラファエロは、すでに巨匠となっていたレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの活動を目の当たりにします。年若いラファエロは、ふたりの様式を学び、独自の芸術を生み出すことになります。


ラファエロの「自画像」は、過去にかなり議論されてきたが、現在では若い頃にラファエロが最初にフィレンツェ滞在を終えた後の1506年に、ウルビーノで描いた自画像とする推定が有力になっています。幾多のラファエロ作とされる肖像画のうちで最も有名な作品で、数え切れないほど模写された作品でもあります。かつてヴァザーリは、「アテネの学堂」の右端に描かれている姿をラファエロの唯一の自画像として挙げ、「鏡に映る自分の姿を捉え・・・慎ましい相貌をしたベレー帽をかぶる好ましく感じのいい魅力的な若者の頭部である」と記述したという。


この25歳頃のものと思われる「自画像」(1508年頃)は、ウフィッツィ美術館の第26室に、ラファエロの聖母子の中でも名高い「ひわの聖母」(1507年)と、最晩年の作「レオX世」(1519年頃)とともにあります。最晩年、といっても、ラファエロは37歳の若さで夭折しますが・・・。僕はウフィッツィ美術館には、ということはフィレンツェには、2度行きました。ラファエロは「聖母の画家」とも呼ばれ、生涯で数10点の聖母子像を残しています。聖母子を描くときだけはモデルを使わず、自分の理想像をイメージして描いたという。その理想像には、幼くして死に別れた母親への思慕が投影されていたのだろうか、と池上英洋は「西洋美術を知りたい」のなかで述べています。


ラファエロは、ブラマンテの勧めでローマへ移住後、すぐに教皇ユリウス2世の信任を得て、ヴァチカン宮殿での仕事を始め、教皇のために多くの作品を制作します。先に述べた「アテネの学堂」を始め、やはり「署名の間」の「聖体の論議(協会の勝利)」、そして「キリストの変容」もあります。ローマ時代には建築家としても活躍します。メディチ家出身の新法王レオ10世に、若いラファエロは前ユリウス2世同様ひいきにされ、同郷の先輩ブラマンテの没後を引き継ぐサン・ピエトロ大聖堂造営の総指揮をレオ10世から拝命します。ラファエロが37歳の生涯を閉じたのは、ローマ都市計画監督官をレオ10世から拝命してわずか2年後の、1520年でした。レオ10世は若くして死んだラファエロの葬儀をし、古代ローマ建築を代表する円形神殿であるパンテオン内に埋葬しました。


国立西洋美術館で「ラファエロ」展を観てきました。観に行ったのは4月16日のこと、あっという間に半月が経ってしまいました。西洋美術館へ行くのも「ベルリン国立美術館展」以来のことです。今回の展覧会の最大の目玉作品は、なんといっても「大公の聖母」(パラティーナ美術館蔵)でしょう。この優美な絵は、18世紀末のトスカーナ大公フェルディナンド3世が亡命先にも持ち歩いたという愛蔵品でした。ラファエロの魅力が凝縮した名画です。


展覧会は4章で構成されています。まずは契約書に最初期の署名が見られる祭壇画の一部「父なる神、聖母マリア」と、父ジョヴァンニ、師のペルジーノらの作品が並びます。そしてフィレンツェ時代、ローマ時代についてそれぞれ肖像画や素描から成長過程をたどります。さらに弟子のジュリオ・ロマーノの油彩画や、ラファエロが下絵を描いたライモンディの版画などが続きます。


Ⅰ.画家への一歩

Ⅱ.フィレンツェのラファエロ―レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い

Ⅲ.ローマのラファエロ―教皇をとりこにした美

Ⅳ.ラファエロの継承者たち



ジョルジョ・ヴァザーリは「芸術家列伝」のなかで、「彼の後に残されたわれわれにとって、さてなすべきことは、彼がわれわれに手本として遺した良き方法、いやその最良の様式を真似ることである」と述べています。またドイツの文豪ゲーテは「イタリア紀行」のなかで、「彼は自然のごとく常に正しく、われわれが自然において最も理解の不十分な点において、彼は最も徹底的に理解している」と述べています。


ラファエロの魅力とは何か。「ラファエロの表現は、作品の空間配置まで考え、人物の違いをきちんと描き分けて物語を伝える点で最も説得力があり、バランスが取れていた。当時尊重された古代の作品や理論を完全に消化し、新たなものの見方を提案した」と、西洋美術館の渡辺晋輔は説きます。観る者の心を癒す、聖母の優雅さも称賛されてきました。「聖母は優雅さを最も表現できる主題。ラファエロはそれが非常にうまく、後世に“聖母の画家”とも呼ばれるようになるのです」と述べています。

Ⅰ.画家への一歩



Ⅱ.フィレンツェのラファエロ―レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い




Ⅲ.ローマのラファエロ―教皇をとりこにした美



Ⅳ.ラファエロの継承者たち



「ラファエロ」

ルネサンスを代表する画家ラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)。ルネサンス絵画を完成させ、後の画家たちの手本となったラファエロですが、作品の貴重さゆえに展覧会の開催はヨーロッパにおいてもきわめて難しいとされています。本展はヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展です。本展にはペルジーノらの影響が色濃く残る修業時代の作品から、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに触発されたフィレンツェにおける作品、そして1508年にローマへ上京し、教皇のもとで数々の大規模プロジェクトに携わった晩年の作品まで、20点以上のラファエロ作品が集結します。特に《大公の聖母》はラファエロの描いた数ある聖母子像の中でも、最も有名なもののひとつです。さらにラファエロの周辺で活動した画家たちや、彼の原画による版画、それを図案化した工芸品等に至るまでを合わせ、計約60点が会場に並びます。以後の美術表現に絶大な影響を与えた画家ラファエロの全貌を知る、絶好の機会となるでしょう。


「国立西洋美術館」ホームページ


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