菊竹清訓さんが死去したというニュースが、新聞に載っていて驚きました。現在、森美術館で「メタボリズムの未来都市展」が開催されている最中です。
思い起こせば、菊竹事務所の元所員だった伊東豊雄は、1975年に大江健三郎の著作のタイトルを借りた「菊竹清訓氏に問う、われらの狂気を生きのびる道を教えよと」という「菊竹清訓論」を書きました。
菊竹清訓さん死去 建築家「エキスポタワー」
大坂万博のエキスポタワーや江戸東京博物館など、大胆な造形とメタボリズム(新陳代謝)理論で知られた建築家で、日本建築士会連合会名誉会長の菊竹清訓さんが昨年12月26日、心不全のため死去した。83歳だった。葬儀は家族で行った。後日、お別れの会が開かれる。
多くの建築作品に加え博覧会でも活躍、戦後を代表する建築家の一人だった。
福岡県久留米市に生まれ、早稲田大学在学中から設計競技などで注目を集めた。1958年、宮中に持ち上がるような自邸スカイハウスが完成。海上都市や搭状都市といった未来的な都市構想も発表した。60年には、時代や用途に応じて都市や建築を更新させる「メタボリズム」を故・黒川紀章さんらと提唱。中心的存在として活躍した。
大坂万博の他、沖縄海洋博ではアクアポリスを手がけ、愛知万博では総合プロデューサーも務めた。主な作品に、出雲大社庁の舎(日本建築学会賞)、ホテル東光園、都城市民会館、九州国立博物館。著書に「代謝建築論」など。次世代への影響も大きく、菊竹事務所から、伊東豊雄、長谷川逸子、内藤広(廣?)の各氏らが輩出した。
朝日新聞:2012年1月6日
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以下、今までこのブログに載せた菊竹関連の画像を載せておきます。
著者:菊竹請訓
発行:1969年1月
出版社:彰国社