テレビで録画しておいた黒澤明監督の「羅生門デジタル完全版」を観たのが去年の4月、見終わって慌てて本屋へ行って芥川龍之介の本「羅生門・鼻・芋粥・倫盗」(岩波文庫版)を購入し、短編なので羅生門だけを一気に読み終わりました。ところがこれが大誤算、映画の原作本は「羅生門」だけではなく、ほとんどは芥川龍之介の「藪の中」でした。芥川龍之介の本は「現代日本文学館20 芥川龍之介」(昭和41年6月1日第1刷文藝春秋舎刊)で読んでいたのですが、押入の天袋の奥に入っていて、出すのが面倒だったので、本屋でまた探すのも何だと思い、そうしているうに時が過ぎてしまいました。実は最近、ある本を探さなければならなくて、そのついでにやっと「現代日本文学館」を探し出し、「羅生門」と「藪の中」を続けて読んだというわけです。そしてもちろん映画「羅生門」を、再度観たわけです。
芥川龍之介は1892(明治25)年、東京市京橋区入船町(現中央区明石町)に新原敏三の長男として生まれ母の実兄芥川道章の家に入った。後、養子となる、と、文庫本の芥川龍之介略年譜にあります。「羅生門」を書いたのは1915(大正4)年、わずか23歳の時、しかも東京帝国大学在学中のことでした。そして1922(大正11)年、30歳の時に「藪の中」を発表します。1927(昭和2)年、田端の自宅で、35歳で亡くなります。芥川の作品を読み直してみて、特に「藪の中」ですが、その物語の構成が緻密で完璧だったのに加え、その細部が一言一句、譲れないギリギリの作品だったことがよく分かりました。若い頃読んではいましたが、そこまでは読めませんでした。
その「羅生門」と「藪の中」を組み合わせて映画化したのは、あの黒澤明です。普通だったらこの組み合わせは思いつきません。黒沢だからこそ、アタマに映像が思い浮かんだのでしょう。戦乱の中で荒廃した羅生門、しかも大雨の中の羅生門、とにもかくにもこの映像が美しく、見事という他ありません。そして本題の「藪の中」、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して、よく使われています。芥川の小説の中では、映画も同様ですが、「殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する証言の束として書かれており、それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている」と、ウィキペディアペディアにはあります。
「藪の中」(ウィキペディア) からの引用を、以下に載せておきます。
激しい雨の中、荒廃した羅生門で雨宿りをする男2人に対し、木樵(映画では杣売りとされている)が語り部となって『藪の中』が語られていく。原作では死体の第1発見者にすぎなかった木樵は、映画では事の顛末を目撃した唯一の人物となっており、その目撃談が最後に語られる。それによれば、盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。この木樵の目撃談により、映画では「証言者は各々の保身のために嘘をついていた」という一定の結論が出されている。
げにいつの世も女は強い。そしてキャストが完璧です。なんと言っても京マチ子でしょう、あの平安朝の顔立ちとその表情の素晴らしさ、何人にも代えられません。映画撮影時、26歳ですよ、26歳!当初黒沢は、この役を原節子で考えていたが、眉毛を剃ってオーディションに望んだ京マチ子の熱意を買い、京に決めたという逸話も残っています。そして男優たち、志村喬と千秋実、そして三船敏郎と森雅之、名優ぞろいです。忘れてならないのは上田吉二郎です。あのだみ声で、狂言廻しを引き受けています。