ボンジョルノ! 新法王、初の日曜
(朝日新聞: 2013年03月18日)
【バチカン=石田博士】新ローマ法王フランシスコ1世が就任して初の日曜の17日、バチカンのサンピエトロ広場周辺は15万人以上の大群衆で埋まった。法王が広場に向けて語りかける、毎週日曜恒例の「正午の祈り」だ。初の南米出身で「庶民派」の評判が高い法王を一目見ようと、人々が詰めかけた。故郷アルゼンチンなど中南米の国旗が多く揺れる。法王は就任時と同じように「ボンジョルノ!(こんにちは)」と元気よく切り出した。イタリア移民の子として「私の家族は、この地とつながりがあります」と語ると、聴衆に喝采が広がった。
新法王が「ボンジョルノ」とサンピエトロ広場に詰めかけた人々に語りかけた次の日、同じくサンピエトロ広場で就任ミサがあったという。「政治、経済、社会に責任あるすべての人と、善意あるすべての人々よ。この世界をしと破壊へ進めるのではなく、守護者となろう」と語りかけました。フランシスコ1世は貧しい人たちの救済に力を尽くしてきました。この日も「貧しき者、弱き者、重んじられない者を守るため、腕を開く。飢える者、渇く者、土地になじめぬ者、守られぬ者、病める者、獄にある者を守る」と誓ったという。
新ローマ法王フランシスコ1世は言うまでもなく、アッシジの聖フランチェスコの聖人の名からきています。すなわち、フランシスコ1世→聖フランチェスコ→アッシジというつながりです。
フランコ・ゼフィレッリ監督のイタリア映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」(1972年)を以前、ビデオで観ました。フランチェスコとその弟子たちの初期の様子を描いた青春群像的な映画だといわれています。最近、幾つかのアート関連の本の表紙に、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の画像が使われています。例えば以下の2冊、「イタリア古寺巡礼 フィレンツェ→アッシジ」と、「イタリア 24の都市の物語」が挙げられます。
ちなみに池上英洋の「イタリア 24の都市の物語」には、以下のようにあります。
フランチェスコ修道会は、ウンブリア州にある小都市アッシジで設立された。会の創設者である聖フランチェスコも、この地で生まれ、この地で亡くなった。聖フランチェスコは当時も今も、カトリック世界でもっとも高い人気を誇る聖人である。そしてその人気の最大の理由が、彼の愚直なまでの奉仕精神と、従順で篤実な信仰心、そしてひたすらに禁欲的な清貧さにあった。聖人は本名をジョヴァンニ・バルナルドーネといったが、父はフランスと織物取引をしていた商人であり、母が父がかの地で見初めたフランス人だったという言い伝えがある。そこから、夫婦は生まれた子供をフランチェスコ(フランス人)と読んでかわいがった、という説明がなされている。
サン・フランチェスコ聖堂は、聖人の死後わずか4年で出来上がったという。イタリア中から著名な画家たちが集められ、聖人を讃えるためのエピソードなどが描かれました。チマブーエやジュット、シモーネ・マルティーニたちが一堂に会しました。美術史上、これほど大規模な共同作業はかつてなく、各地からもたらされた様式や技法がこの地で一気に融合し、また各地へと散っていった、という。
ということで、前々からアッシジへ行った時の画像を、このブログに載せたいと思っていました。そうそう、1997年9月26日に大地震があって、サン・フランチェスコ聖堂もかなりの被害があったようですが、僕が観に行ったのは1990年夏のことでしたから、地震の前ということになります。ここでは1990年にアッシジへ行った時のスライドを中心に、ごく一部ですが、以下に載せておきます。
フィレンツェ→アッシジ
とんぼの本
発行:2011年9月25日
著者:金沢百枝 小澤実
発行所:株式会社新潮社
「イタリア 24の都市の物語」
光文社新書
発行:2010年12月20日
著者:池上英洋
発行所:株式会社光文社