茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観てきました。あの未曾有な災害をもたらした東日本大震災から2年、遅々として復興が捗らない現場をみて、忸怩たる思いがあります。僕自身、大震災から3ヶ月後に気仙沼を、6ヶ月後に石巻を2度に渡り被災地を見て回りました。2年目の追悼番組を見ると、ほとんど復興が進んでいない状況が露わになって映し出されていました。いったい今後、いつまで続くのか、不安でなりません。
それはさておき、手をこまねいているだけではいられません。様々な分野で復興への足がかりを掴もうと努力が成されています。建築の分野でも様々な努力が行われています。なかでも伊東豊雄のグループが幾つかの成果を残しています。その活動の経過がヴェネツィア・ビエンナーレで展示され、最高の賞を獲得したりもしました。また坂茂の活動も見逃せません。
そうした動きのなかで、アートの分野でも様々な試みが成されており、茨城県近代美術館でも「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」が開催されました。テーマは「自然と芸術」、テーマが漠然として大きすぎるからか、展示を見ると拡散の傾向が大きく前面に出て、収斂するにはほど遠い現状でした。横山大観や木村武山らと、現代のアーティストは、交わるところがほとんどありません。確かに困難なテーマではあります。
もちろん目玉は横山大観の「生々流転」であることは言うまでもありません。絹本墨画で画巻55.3cm×4070cmというとんでもない大作です。1923(大正12)年に描かれたもので、重要文化財に指定されています。横山大観は水戸出身の日本画家であり、1889年開校の東京美術学校に第一期生として入学、橋本雅邦らに師事。93年同校卒業、jy教授として残るが98年岡倉天心に殉じ同校を連袂辞職、日本美術院創立に参加しました。1914年下村観山らと日本美術員を再興し、岡倉の遺志を継いで院の運営と発展に尽力しました。生涯にわたって、日本画の改革と理想的絵画を追い続けました。37年文化勲章受章、と略歴にあります。
たまたま水戸で、学芸員による「生々流転」の解説を聞くことができました。また巻物をどうやって扱うかの手ほどきもありました。普段は美術館などで展示されている巻物は、人が歩いてみるものだが、本来巻物は少しずつ肩幅に拡げて、巻ながら見るのですよと教えられ、一人ずつ現物を巻ながら肩幅まで拡げ、その部分を解説していただきました。昨年末、東京国立近代美術館でも「生々流転」は展示されていました。その図録には、以下のようにあります。
山間に湧く雲が一滴の雫となり、雫が集まって川と流れ、最後には大海に注いでまた雲となる。そうした終わりのない水の変転を、全長40メートルを超える画巻に描いた横山大観畢生の大作である。タイトルの「生々流転」とは、万物が常に生死を繰り返し、移り変わっていることを意味する。ここに描かれているのは水の変転であるが、それは当然ながら人の一生をも象徴しているのである。(「美術にぶるっ!」図録より)
以下、横山大観「生々流転」
「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」
二年前に起きた東日本大震災以前に、私たちが人間について、自然について考えていたことは、その後の二年間に大幅に再考を求められているのではないか。 それほど、突然おこった大地震は私たちのものの見方に影響を与えていると思われる。本展覧会はそのような視点から企画されたものである。例えば自然について考える際、人間は陸の上のわずかな場所を、人間が住める場所として選び社会を営んでいるが、その外側に広がる自然界は自然自体のバランスを保つために動き続けているものであり、 時として人間にとっては逃げることができない巨大な破壊力となって迫ってくるということを、現在の私達は肌で感じるようになった。 そのように地震によって影響を受けたものの見方で作品に接すると、すでに見慣れている美術作品であっても、今までは気がつかなかった面、つまり芸術家は自然に向かいあって絵を描いたり、 彫刻を彫ったり、立体作品を作ったり、写真を撮ったりする際に、一般的に捉えられていた人間にとって都合のいい自然への視点によらずに、もっと異なる独自の視点から自然の本質にせまろうとしていたことに 改めて気づかされることになるだろう。本展覧会では、震災(関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災)に関わる、横山大観や、木村武山、河口龍夫らの作品の他、 橋本平八「石に就て」、楢橋朝子「Jindo, 2009」などのそれぞれの作家が独自の視点で自然の本質を捉えようとした作品により構成し、人間と自然との本当の関係について考える。