趙景達の「近代朝鮮と日本」(岩波新書:2012年11月20日第1刷発行)を読みました。著者の趙景達は、1954年東京都生まれ。1986年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専攻は朝鮮近代史・近代日朝比較史で、現在千葉大学文学部教授とあります。
本のカバー裏には、以下のようにあります。
19世紀前半、儒教的民本主義に基づく政治システムの朝鮮社会で、身分制が解体してゆく状況から説き起こし、1910年日本に併合されて大韓帝国が滅亡するまでの朝鮮近代通史。政治文化に着目して日本社会と比較しながら、日朝修好条規、甲申政変、甲午農民戦争、大韓帝国誕生、日本の保護国化、国権回復運動等を描き出す。
また「まえがき」の末尾で著者は、次のように述べています。
今日の朝鮮半島と日本の間には、なおさまざまな問題が横たわっているが、相互理解のポイントは、互いの文化や政治文化をよく知ることである。両者は隣国であるがゆえに、好むと好まざるとにかかわらず、未来永劫に交流を培っていくしかない。本書は、文化一般は論じないが、相互理解にも寄与したいというささやかな欲求をもって、政治文化史的な観点から書かれた近代日朝関係しである。
末尾では、やわらかい表現で「相互理解のポイントは、互いの文化や政治文化をよく知ることである」としていますが、この本を読んで、正直言って、日本の朝鮮に対する蛮行は、これほどまでとは思いもしませんでした。中国にしてもしかり、ロシアにしてもしかり、朝鮮を自国の利益の対象としか考えていません。「まえがき」の前段で「相互間の愛憎は、近代に入ってからの不幸な歴史にその多くが起因している」として、著者は以下のように述べています。
日本は朝鮮を侵略するのみならず、それを合理化、正当化するために朝鮮の歴史を停滞的、他律的と見る歴史感を流布させた。朝鮮は自力では近代化できず、放置しておけば、国さえ奪われかねないので、日本が助けてあげなければならない、という手前勝手な植民地史観である。しかも、古代において日本は朝鮮の一部を支配していたという歴史認識に立って、「日鮮同祖論」も盛んに喧伝された。韓国併合は侵略ではなく、隣人愛ならぬ「同祖」愛から出た一体化だというわけである。
著者はまず始めに李氏朝鮮の身分制から説き起こし、朝鮮王朝の建国理念は朱子学におかれ、その政治理念は「儒教的民本主義」であったという。儒教的民本主義は主に「孟子」の思想に範を採り、権力主義的な覇道を排して徳治主義的な王道を目指し、どこまでも民のための政治を行うことが謳われたという。このような政治文化を背景に、民衆は18世紀以降大きく成長していき、とりわけ19世紀は民衆がその上昇志向を通じて主体として立ち現れる、民衆胎動の時代であったという。
また著者は、ペリー提督の日本遠征の故事に倣うつもりで朝鮮にやってきたロジャース海軍少将は、予想もしなかった朝鮮側の激しい攻撃に、アメリカ艦隊は撤退したという。広城堡の戦闘直後、大院君は「洋夷が侵犯しているのに、戦わないのであれば和することである。和を主とするのは売国の行いである。このことを万年の子孫に戒める」と書いた碑を全国に建てさせたという。朝鮮の攘夷精神を日本と比較して、日本においては薩摩と長州が薩英戦争と四国艦隊下関砲撃事件であっけなく屈しているのとは対照的である、としています。
そのことから日本の「国体」思想とはまるで違っているという。日本では「国体」思想の台頭によって「国」が絶対化されたために、「道」は二義的なものになり、西欧化への転回が容易にできた。西欧への徹底抗戦は「国」を滅ぼすことにしかならない。西欧にはかなわないと認識されるやいなや、尊攘論が開国論に急転回した。それに対して朝鮮では、「国」を滅ぼしても「道」に殉ずることこそが、人倫の正しい行為とされた。これが儒教原理国家ともいえる朝鮮の現実であると、著者はいいます。
第9章の「韓国併合」の中では、最も大きく「安重根事件」を扱っています。ハルビン駅のプラットホームに降り立った伊藤博文は、安重根のよって3発の弾丸を受けて、間もなく絶命しました。安はただちに捕捉されたが、ロシア語で三たび「コリア、ウラー(大韓万歳)」と叫んだという。著者はこの事件を「暗殺」ではあっても、テロとは違うという。安重根は参謀中将として世紀の交戦行為として伊藤を射殺したのだという。彼の思想の一端は、獄中でしたためた「所壊」によく示されているという。
「競争の説」を唱えて「殺人機械」を作り、世界中で戦争を起こしている「上棟社会の高等人物」=西欧人を批判しています。当時朝鮮では、社会進化論と並んで天賦人権論も輸入され、両者は矛盾泣く受け入れられていた。安重根は両者の矛盾に先駆的に気づき、後者の立場から前者を批判し、「弱肉強食」的な世界の現実を批判したのである。その観点から西欧文明に付き従ってアジア侵略を行う日本を批判し、その最高指導者の伊藤を東洋平和を乱す元凶として指弾したのだという。韓国併合後、石川啄木は「地図のうえ朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く」と詠んだという。
日露戦争以来、儒教民本主義に基づく政治文化は軍事的、法規的に否定されました。陸軍大将で陸相の寺内正毅が第三代統監となります。寺内は韓国併合以降、急速に韓国併合の政策を推し進めていきます。「しかし、政治文化は永い伝統の上に築かれるものであり、短時日の」うちに消え去ることは決してない。朝鮮社会の人々は、変容を強いられつつ、韓国併合後もなお、観念のうちにも慣行のうえでもそれを頑強に持ちつづけていく。また、伝統的な宗教や文化一般にしても、そうたやすく消失することはない。植民地朝鮮の新たな葛藤がここに始まる」と結んでいます。
著者は、本書は政治文化の問題を基底にすえて概観した近代の日朝関係史であるとして、単に政治史や外交史を描くのではなく、政治文化に着目した点が本書の新しさであると述べています。朝鮮王朝成立の頃から話を進め、1910年の韓国併合までを扱っています。著者は謙遜して「本書は簡明を旨としたが、簡明に書くというのは、研究者にはなかなか難しい」と語っていますが、これだけの様々な事件を扱っていながら、この本は難解に陥らずに、軽快で読みやすく仕上がっています。著者は「本書には続編がある」として、いずれ刊行されるので、今少しお待ち願いたい、と述べています。