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ブリヂストン美術館ナイト「気ままにアートめぐり」特別内覧会!

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「ブリヂストン美術館ナイト」

トークイベント ブリヂストン美術館開館60周年を振り返って

第一部

学芸員対談 ブリヂストン美術館VS三菱一号館美術館

 ブリヂストン美術館学芸員 賀川恭子

 三菱一号館美術館学芸員 阿佐美淑子


賀川さんからは、7月29日にブリヂストン美術館長島田紀夫と三菱一号館美術館館長高橋明也の対談「世紀末芸術 イギリスVSフランス」の対談があり、今回はそれを踏襲して同じかたちで学芸員の対談としたこと。ブリヂストン美術館の成立過程につて、創設者の石橋正二郎が自社ビルを建てるにあたって、自分が所蔵していた作品をビル内に展示したこと。当初は、ブリヂストンギャラリーと称していた。建物が事務所ビルなので、天井高が低いことで、展示に制約があること。開館式の日、1952年1月8日から60年が過ぎたこと。この2年間の特別展(企画展)の足跡、及び、2013年度の予定の紹介。また東京駅周辺美術館(ブリヂストン美術館、出光美術館、三井記念美術館、三菱一号館美術館)共通券発売開始のお知らせなど。


阿佐美さんからは、2009年に竣工した丸の内ブリックスクエアの一角に美術館があること、美術館はジョサイア・コンドルが設計した三菱一号館を復元した建物なので、小部屋が多く展示に制約があること。特に足音が響くこと。所蔵品はロートレックの版画とポスターのコレクション200点、レスタンプ・オリジナル、ジャポニスムの陶磁器や銀食器など、19世紀から20世紀初頭の欧米美術のコレクション。開館以来の企画展の紹介と今後の予定など。


第二部 アートブロガーを交えての意見交換会

司会・進行:ブリヂストン美術館学芸課長新畑泰秀

 青い日記帳Tak

 はろるど

 6次元中村邦夫


中村さんからは、「ブリヂストン美術館を10倍楽しむ方法」というプリントが配られ、まずポスト・ロダニズムから読み解く彫刻進化論として、現代化とは古代化だったとして、ジャコメッティやブランクーシの彫刻はエジプトやギリシャの彫刻に酷似しているという話がありました。ブリヂストン美術館の彫刻が並んでいるホールは、それら全体が観ることができる珍しい美術館であること。また「人間関係で読み解く近代絵画」(西洋編・日本編)の話や、「アンフォルメル(非定型)をオリエンタリズムで読み解く」として、カリグラフィーが美術史を塗り替えたという説を出します。


新畑さん、ブリヂストンは印象派の美術館、古代彫刻は違うんじゃないのと思われるが、石橋は古典を起点に考えていたのではないか。学芸員は作品主義なので、人間関係は当たり前に知っているが、ちゃんと出すと理解が得られる。日本は昔からアンフォルメル、不定形。フランスの不定形と日本の具体がつながる。印象派のお客が多いが、最後の抽象はさっと通り過ぎていく。


Takさんは、まずコローの「イタリアの女」を出し、最初はフラメンコを踊る女の人かと思ったが、タイトルを見たら「イタリアの女」だったとい額縁が深いので展示室で見ると印象が異なる。またセザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」、一緒に描いたものは世界にこれ一つであること。99年の横浜での展覧会に一度貸し出したが、ほとんど貸し出しはしていない作品。セザンヌのアトリエから4kmほどにある、最晩年の作品。シャトー・ノワールだけを描いたのは世界で4点、そのうちワシントン・ナショナル・ギャラリーとニューヨーク近代美術館の作品の画像を映す。


はろるどさんは、カイユボットの「ピアノを弾く若い男」について、ブリヂストン美術館間でドビュッシーに近い作品はこれ。モデルはカイユボットの弟。ピアノの横に積んである教則本はドビュッシーの先生のモノ。カイユボットは絵を売る必要がなかったこと。美術館に入っている作品が極端に少ない。またザオ・ウーキーの「07.06.85」という作品を提示し、ブリヂストンは印象派の美術館なのに、どうしてこの作品があるのか疑問に思ったこと。現代美術を数多く所蔵しているので、現代美術の展覧会を開催して欲しいこと。


新畑さんは、ブリヂストン美術館の現代美術では、ウーキーのこの作品が最も人気が高いこと。西洋的な青と白の枝が、東洋的な、日本的な作品にも見えること。見ている人に訴える力があること。


中村邦夫さんの選んだ作品


Takさんの選んだ作品


はろるどさんの選んだ作品


特別内覧会:

「気ままにアートめぐり―印象派、エコール・ド・パリと20世紀美術」

貸し切りでの鑑賞、第1室、第4室、第5室のみ撮影可能

学芸員によるギャラリートークあり


第1室 第1章:印象派の誕生


第4室 第1章:印象派の誕生



第5室 第2章:印象派を乗り越えて


1階ティールームでの懇親会


「松田平田設計事務所」関連

松田軍平は、日本橋の三井本館の監理の仕事を終えて松田事務所を設立し、最初の仕事が伊豆下田の「三井高修邸」と、久留米の「石橋徳次郎邸」でした。松田は石橋と同じ久留米の出身で、石橋徳次郎邸は兄の松田昌平を通じての依頼でした。松田は、入所して間もない平田重雄に、「君、このプランにスパニッシュスタイルのエレベーションをスケッチしてごらん」と言ったという。松田も平田も同じコーネル大学の出身でした。


石橋徳次郎はブリヂストンタイヤの創業者、石橋正二郎の兄であり、彼ら兄弟は家業を継承し、地下足袋の製造で成功していく途上にあり、会社も日本足袋として兄は社長、弟は専務取締役でした。兄は「丈夫で元気者」、三つ下の弟は「病弱でおとなしい」性格だったという。正二郎は、自動車用タイヤの製造を本格化する年に、故郷久留米に兄の邸宅を依頼する心境は、新しい飛躍への思いも含まれていたのでしょう。


数年後、正二郎は東京麻布の長坂に新しい本邸を建てることになります。正二郎は、「趣味は美術品の蒐集、建築、造園」と書く人物でした。また若いときから、日常生活をつとめて合理的にと心がけ、洋式生活を実行したという。正二郎は1937年にブリヂストン株式会社の本社を久留米から東京に移しています。東京での新しい生活の器を、松田事務所にも求めたのでしょう。コンクリートのマッスがそのまま現れたアール・デコ風の住宅は、わずか数年に違いであるにもかかわらず、久留米の徳次郎邸のスパニッシュとは、大いにその表現は異なっています。


ちなみに、「石橋徳次郎邸」はブリヂストンの迎賓館として現在もそのまま使用されており、、伊豆下田の「三井高修邸」は戦後下田の御用邸になり、石橋正二郎邸は戦後進駐軍に接収され、現在はアメリカ公使公邸となっています。


1952年に戦後始めて、アメリカ式のオフィスビルである「ブリヂストンタイヤ本社ビル」が完成します。設計はもちろん松田平田設計事務所です。美術館の成立過程は、創設者の石橋正二郎が自社ビルを建てるにあたって、自分が所蔵していた作品をビル内に展示したこと、当初は「ブリヂストンギャラリー」と称していたという、学芸員の賀川恭子の証言通りです。






「ブリヂストン美術館」ホームページ


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