泉屋博古館分館は、平成14年に六本木1丁目の泉ガーデンに開館しました。住友家の旧蔵品を蒐集、展示する公益財団法人泉屋博古館(京都市左京区)は、昭和35年の活動開始以来、京都で実績を積みあげてきましたが、関西以外でも所蔵品を鑑賞してもらおうと、東京に開館しました。「泉屋博古館」の名称は、江戸時代の住友の屋号「泉屋」と、約900年前の中国宋代の徽宗皇帝の命により編纂された古代青銅器図録「博古図録」からとっていますが、泉屋博古館の最も重要なコレクションが中国古代の青銅器から成り立っていることからもたらされたものです。
泉屋博古館分館で「中国絵画 住友コレクションの白眉」を観てきました。泉屋博古館分館は今年で開館10周年を迎え、春から開催してきた連続記念展のしめくくりの展覧会です。東京では開館以来、まとまった公開の機会のなかった泉屋博古館の中国絵画を、一堂に会して観られるというものです。
先日、「中国王朝の至宝」展を観てきました。中国で最古の王朝といわれる夏の時代から4000年の間を扱っているものでした。それとは同列におけませんが、泉屋の「中国絵画」も長い時代を扱っています。伝閻次平の「秋野牧牛図」は南宋時代、伝銭選の「宮女図」は元時代のものです。南宋の始めは日本では平安時代、元は鎌倉時代です。それらが今まで残っていて、中国絵画の規範となっているというから驚きです。そのうち2人の対照的な画家の興味深い略歴を、下に載せておきます。
華嵒(か がん 1682-1756)は、臨汀(福建省)の貧しい竹紙工だったが、22歳で杭州に出て文人画家となりました。縁あって県丞を授けられたが仕官せず、北京、泰山、廬山等を遊歴。人物から走獣まで画域は幅広く、唐から明の多彩な様式を咀嚼した洒脱で清奇な画風を確立しました。「鵬挙図」は、古代中国の想像上の大鳥を描いたもの。「荘子」逍遥遊によれば、鯤(こん)という魚が化したもので、翼は三千里に達し、一飛びに9万里ものぼるという。
沈銓(しん せん 1682-?)は呉興(浙江省)の出身で、享保16年(1731年)長崎に来航し、2年足らず日本に滞在しました。日本では沈南蘋の名で知られ、直接教えを受けた熊代熊斐らが南蘋派を形成しました。中国本土では無名の画家でありながら、その力強い構成力、写実性は日本人を圧倒し、弟子円山応挙や伊藤若冲はじめ江戸時代中期の画壇に多大な影響を与えました。「雪中遊兎図」は、まさにその力強い構成力と写実性を表したものです。
展覧会の構成は、以下の通りです。
Ⅰ 明末清初―個性の結晶―
Ⅱ 中国絵画周遊
人物画―神仏から世俗まで―
山水画―理想郷への旅―
花鳥画―生命への賛歌―
Ⅰ 明末清初―個性の結晶―
Ⅱ 中国絵画周遊
人物画―神仏から世俗まで―
山水画―理想郷への旅―
花鳥画―生命への賛歌―
泉屋博古館分館 開館10周年特別展
「中国絵画 住友コレクションの白眉」
泉屋博古館分館は今年で開館10周年を迎えます。春から開催してきました連続記念展のしめくくりとして、東京では開館以来まとまった公開の機会のなかった当館の中国絵画を一堂に展観いたします。当館の中国絵画は明から清への王朝後退の激動期に生きた八大山人、石濤ら明末清初の個性派の優品がそろうことで内外に知られています。明朝の遺民であった彼らは苦汁の日々のなか、史上稀に見る独特の表現を見いだしました。強烈な自我と繊細な感性が生み出した彼らの作品は、いまなお鮮烈に訴えかけます。彼らをはじめ、明清の文人たちが墨戯として描いた山水や花鳥の数々にはそれぞれの理想世界が映し出されているようです。また、コレクションには、南宋の宮廷画、伝閻次平「秋野牧牛図」から清の沈銓(沈南蘋)の作まで、精緻な画技の粋をあつめた作品も見られます。これらは明治から昭和にかけて住友家によって収集されたものです。彼らもまた、これら画家たちの理想世界に心を委ねた鑑賞者でした。時に日本文化にも影響を与えたこれら中国絵画の数々をお楽しみください。国宝1件、重文4件、重美2件を含む約60点。画冊は会期中順次めくり替えて全頁をご紹介します。
「泉屋博古館分館」ホームページ
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