府中市美術館で「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」を観てきました。観に行ったのは9月30日、もう半月以上前のことです。「夢をめぐる旅」にかけて、キャッチコピーは「夢にデルヴォー。」、府中市美術館、頑張っています。ポール・デルヴォーは、ルネ・マグリット、ジェームズ・アンソールと並んで、ベルギー近代美術の三代画家の一人と呼ばれているようです。ジェームズ・アンソールについては、ちょうどいま損保ジャパン東郷青児美術館で「ジェームズ・アンソール―写実と幻想の系譜―」が開催されていて、僕も観に行ってきました。
ベルギーといえばベルギー・ワッフルや小便小僧が有名ですが、それはさておき「ベルギー王立美術館」、昨年4月に、オランダ・ベルギーを旅して、改修工事中でしたが「ベルギー王立美術館」を観ました。ガイドさんの案内で15、16世紀の絵画はブリューゲル父・子をはじめしっかり観てきましたが、帰りがけに美術館1階の横の倉庫みたいな部屋を覗いてみると、なんと驚くなかれ、そこは20世紀美術のコーナーで、シャガール、マチス、ブラック、ピカソ、クレーなどに混じって、レオン・スピリアート、デルヴォー、マグリット、キリコ、エルンスト、ダリ、等々の作品が、無造作に展示してありました。いま、ベルギー王立美術館の「所蔵作品案内」を見ながら書いていますが、デルヴォーの作品は、「戦火」(1935年)、「ピグマリオン」(1939年)、「夜汽車」(1957年)、「ラ・ヴォア(声、公道、汽車のレーン)・パブリック」(1948年)が載っています。
「所蔵作品案内」にあるデルヴォーの紹介を、(日本語がやや変ですが)以下に載せておきます。
ポール・デルヴォー(1897-1994)は、父は弁護士、母は音楽家、典型的な富豪ブルジョアの家に生まれた。両親は心理的な締め付けを、長期間彼に与えた。従って、19歳時ブリュッセル、アカデミー・デ・ボザール入学は、両親の許可が容易には出なかった。馴染み深い詩情を帯びる傾向、幅広い装飾的絵画に表出する基本的趣向を形成。卒業後は検証とためらいの時期。30歳頃、彩色家繊細な夢想的感覚の才能を発揮した。ラジオ・インタビューに「純粋絵画より大切な、深い感覚表現を実現する超現実主義絵画を探ろう」以降作風は明らかな方向性を見出した。マグリットとデルヴォーは、現代ベルギー画壇2大巨匠となった。1969年東フランダースのヴールヌに引っ越し、画家としてのキャリアは絶頂期。1982年ベルギー沿岸のサン―イデスバルドに、ポール・デルヴォー美術館を開設。1994年7月20日、ヴールヌで97歳の生涯を終えた。
1975年に東京国立近代美術館で、「ポール・デルボー展」を観たことがあります。いまから37年も前のことです。日本での「最初の個展」だったようです。その後、日本での個展は、1983年、1987年、1989年に開催されています。もちろん、その時はポール・デルボーがどんな画家なのか、なにもわからず観に行ったと思います。そのちょうど1年前でしたが、同じ近代美術館で「アンドリュー・ワイエス展」を観ています。なぜかその頃、僕はよく近代美術館に通っていました。下に載せたのは「ポール・デルボー展」の図録とその画像です。
デルボーは1994年に亡くなりましたから、1975年はデルヴォー78歳、まだ存命で、図録にメッセージを寄せています。この時点で後のデルボーの作品の主題とモチーフは、古代神殿、ランプ、汽車、裸婦、骸骨、等々、おおむね出揃っているように見えます。最初に作品を発表した1924年の展覧会から1934年までは、デルボーは様式の面では、比較的従来の画家と同様の作品を描いていました。
1934年、デルボー37歳のときの発見を、後に以下のように説明しています。「私が敢えてローマの凱旋門と、そして地上に火のともったランプを描いたとき、決定的な第一歩が踏み出されたのだ。その時まで私のうちを支配していた理性的な論理に背く自由が私に与えられたのであった」と。
一部ですが、そのときの画像を載せておきます。
たったいま、今日の朝日新聞夕刊を見ていたら、「be evning 美の履歴書」欄に、ポール・デルヴォーの「エペソスの集いⅡ」が大きく載っていました。増田愛子の署名入りの、デルヴォーに関するかなり的確な記事だと思います。少し長いですが、以下に全文、引用しておきます。
月明かりに浮かぶ、女たちの白い顔。ある者は立ったまま眠り、ある者は寝たまま目覚めている。あなたがたはどこにいるのか――。問いかけても、黙劇の途中で時間が止まったかのように、乙女らが振り向くことはない。デルヴォーの絵には、時期によって異なるモチーフが登場する。20年代の汽車。30~40年代は裸婦。50年代には骸骨。そして、複数のモチーフを静寂の中に配置した60年代以降。自身の体験や感情と分かちがたく結びついた存在を、画家は繰り返し描いた。この絵で、その思考は複雑な構図となって現れる。
4人のいる「舞台」の奥は少年時代に夢中になった市電の走るブリュッセルの街路。崩れた壁の向こうに、深い関心を抱いていた古代ギリシャの建造物が建つ都市。はるかに見えるのは、愛読書「オデュッセイア」の主人公が漂白した海だろうか。自分の愛した「世界」を入れ子状に配した景色は、デルヴォーの心の中そのものとも見える。乙女たちはさしずめ、聖なる杜を守る巫女だ。あるいは・・・。同じ顔を持つ彼女らを眺めていると、絵の中で永遠の夢を見続ける、デルヴォー自身の化身にも思えてくる。
展覧会の構成は、以下の通りです。
第1章 写実主義と印象主義の影響
第2章 表現主義の影響
第3章 シュルレアリスムの影響
第4章 ポール・デルヴォーの世界
第5章 旅の終わり
デルヴォーは、1897年9月23日に、ワロン地方リエージュ州のアンテイにある母からの祖母の家で生まれます。彼の生後、一家はブリュッセルの自宅へと戻ります。青年期のデルヴォーは煩雑にワロン地方に帰郷し、初期の作品のインスピレーションを得ます。フランドル地方と北海も、デルヴォーの写実主義的な作品に重要な影響をもたらします。1900年代初頭のヨーロッパでは親が子の職業を決めるのが一般的であり、デルヴォー家の長男であるポールは父親と同じ弁護士になることが運命づけられていました。しかし、デルヴォーは授業中にも絵を描いているような夢見がちな少年でした。デルヴォーの両親はやがてブリュッセルの美術アカデミーで建築を学ぶことを許可するようになります。しかしデルヴォーは結局、数学で落第し、建築学を修めることはなかった。
1919年、ベルギー王室の画家クルテンスが、当時22歳のデルヴォーの水彩画を見てその才能に気がつき、デルヴォーの両親に「息子さんは才能がある、素晴らしい将来が待っている」と説得しました。両親は息子がブリュッセルの美術アカデミーで装飾の教育を受けることを許可しました。初期の作品は、その後60年以上も繰り返し現れることになるいくつかの要素が含まれているという点でも重要です。デルヴォーは幼少期、ワロン地方や北海周辺のフランドル地方などを煩雑に旅しました。これらの旅はデルヴォーの記憶の形成に影響を与えました。当時の蒸気機関車は、魔法のような新技術の到来を告げるものでした。デルヴォーの旅にとって主要な交通手段であった汽車は、作品の中でも重要かつ象徴的な要素として描かれています。画家にとって、汽車は冒険と自由の象徴でした。
デルヴォーの作品に、繰り返し登場する重要な要素。
□汽車、トラム、駅
□建築的要素
□生命の象徴としての骸骨
□欲望の象徴としての女性
□男性の居場所
□フレスコ
□ルーツとしての過去のオブジェ
デルヴォーの「略年譜」を見ていて気がついたこと2点。一つは、シュルレアリスムとの関係です。1935年、デルヴォー38歳のとき、アンソールを訪れるとあり、マグリットの元でシュルレアリストたちを紹介される、とあります。アンドレ・ブルトンを中心とするシュルレアリスムの運動に直接加わったことはありませんが、1930年代後半から1940年代に書けてシュルレアリスムの展覧会に何度か参加しています。デルヴォーの画面がたたえている夢幻的な雰囲気や、幼少時代の記憶に起因する駅や標本室のような特有のモチーフによって、シュルレアリスムの範囲に属するものと見なされています。2011年、国立新美術館で開催された「シュルレアリスム展」には、「アクロポリス」(1966年)が出ていました。デルヴォー69歳のときの作品、月に照らされた夜の街路や、ギリシャ神殿風の建物、もの言わぬ乙女たちの行列など、デルヴォー作品に典型的な要素が描かれていました。
もう一つ、1929年、デルヴォー32歳のとき、アンヌ=マリー・ド・マルトラール(タム)と出会い、結婚を望むが両親に反対される、とあります。いったん関係が途絶え、デルヴォーは40歳でシュザンヌ・ピュルナルと結婚します。なんとデルボー50歳のとき、偶然サンティデスバルトの滞在中のタムと再会します。その後定期的に会い文通を続け、次の年に2人はショワゼルのクロード・スパークの家に身を寄せます。次の年にはボアフォールの友人宅にタムと部屋を借ります。1952年、55歳でタムと結婚。そんなことって、あるんですね。1989年、デルヴォー82歳、すでに寝たきりだったタム夫人が亡くなります。この日を境にデルヴォーは筆を置き、再び制作することはなかったという。
第1章 写実主義と印象主義の影響
第2章 表現主義の影響
第3章 シュルレアリスムの影響
第4章 ポール・デルヴォーの世界
第5章 旅の終わり
「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」
ポール・デルヴォー(1897-1994)は、ベルギーのシュルレアリスム絵画を代表する画家です。現実を超えた世界を描くシュルレアリスムの画家のなかでも、とりわけ幻想的な作風で知られます。古代神殿の立ち並ぶ風景を電車が走り、うつろな瞳の女性たちがさまよう、静かでどこか冷たい世界。しかし、夢の世界と現実とが一続きになっているような不思議な空間に、見る人は思わず引き込まれます。デルヴォーの作品には、電車、神殿、ランプ、骸骨、女性など同じモティーフが、くり返し描かれます。それは、例えば、駅長になるという夢を持つほど電車好きだった幼い頃、あるいは、教室で骨格標本を見て衝撃を受けたという少年時代の思い出など、画家の個人的な体験や日常生活に結びついています。デルヴォーは、身の回りのありふれた物を糸口にして、超現実世界へとつながる扉を開こうとしたのです。この度の展覧会では、シュルレアリスム時代の代表作をはじめ、これまでほとんど紹介されることのなかった最初期の油彩画やデッサン、制作に用いたモティーフも紹介し、画家の創作の原点を探ります。日本ではおよそ10年ぶりの回顧展となります。出品作、約80点のうちおよそ半数以上が日本初公開の作品で。
図録
執筆:
ジュリー・ヴァン・デューン(ポール・デルヴォー美術館)
村松和明(岡崎市美術博物館)
音ゆみ子(府中市美術館)
編集協力:
鹿児島市立美術館
下関市立美術館
埼玉県立美術館
秋田市立千秋美術館
発行:
「ポール・デルヴォー展―夢をめぐる旅―」
実行委員会 ©2012
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