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江戸東京博物館で「二条城展」を観た!

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またまたなにも知らないことだらけ、「二条城」についてまったくなにも知らない、いや、お恥ずかしい。京都に行って堀川通りを北上し、二条城のお堀のすぐ横はもう何度も通ってはいるものの、なぜか行ってみようと思ったことは今まで一度もありませんでした。実は高校の修学旅行で行ってるはずなのに、なんにも憶えていません。「元離宮 二条城」というリーフレットによると、以下のようにありました。


二条城は、1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)に完成したもので、家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻など、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができます。1867年(慶応3年)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となりました。その後、1939年(昭和14年)に京都市に下賜され、1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産美登録されました。


昨年度より、二条城が「築城以来の大修理」が行われているという。築城から400年を経て、建物の修理は大規模なもので、完了まで20年を要する大計画です。江戸博では、この絶好の機会に二条城の歴史と遺産を展示することになりました。察するところポイントは二つ、一つは徳川幕府の始まりとそして終わりの舞台が二条城だったこと、もう一つは二条城へ行けば桃山文化の全貌を見ることができること。「城内の文化財」は下にあげた通り。二の丸御殿の障壁画が1016面もあるという。いやはや、すごいとしか言いようがありません。


「城内の文化財」は、以下の通り。

・二の丸御殿(6棟)、国宝(建造物)

・東大手門等(22棟)、重要文化財(建造物)

・二の丸御殿障壁画(1016面)、重要文化財(美術工芸)

・二の丸庭園、特別名勝


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 二条城創建-京に響く徳川の天下-

第2章 二条城大改築-東福門院和子の入内と寛永の行幸-

第3章 寛永障壁画の輝き-日本海画市最大の画派、狩野派の粋-

第4章 激動の幕末-大政奉還の舞台として-

第5章 離宮時代-可憐なる宮廷文化の移植-

第6章 世界遺産二条城-文化財を守る・伝える-


まずは、江戸幕府の歴史を語る上で欠かすことができない二条城の歴史を振り返ります。関ヶ原の合戦に勝利した家康は、翌年から京の城館の築城に取りかかり、征夷大将軍の拝命に合わせて二条城が竣工します。二条城は、大阪の陣では家康の本陣にもなります。そして秀忠の時代には、都大路を壮麗な行列が進みます。娘の和子の入内と、後水尾天皇の二条城行幸です。「洛中洛外図屏風」や「東福門院入内図屏風」には壮麗な行列が描かれています。その行幸に備えて城内は大改修が行われ、本丸と行幸御殿が築城され、二の丸御殿も改造が行われました。


この寛永の大改修に際して、狩野探幽率いる狩野派が描いた二の丸御殿の障壁画は、豪華絢爛な近世障壁画の代表作です。二条城二の丸御殿、大広間四の間の「松鷹図」、遠侍勅使の間の「檜図」黒書院四の間の「菊図」、黒書院の「花籠図」、そして白書院一の間の天井には菊、椿、紫陽花、朝顔などの「花卉図」が描かれています。そして幕末、二条城はまた政治の舞台になります。14代将軍家茂は将軍として実に229年ぶりに二条城へ入ります。続く15代将軍慶喜は二条城において、大政奉還の決意を固めます。家持ちや慶喜の肖像画が出されていました。いまさらながら、徳川将軍家の権勢が実感されます。


第1章 二条城創建-京に響く徳川の天下-

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年から京の城館の築造に取り掛かりました。征夷大将軍の拝命にあわあせて竣工した二条城は、徳川家の参内の拠点となると同時に、盛大な祝宴の会場でもありました。また、大阪の役では家康の本陣となりました。天下に徳川の覇権を知らしめた慶長期の二条城と、創建者家康を紹介します。


第2章 二条城大改築-東福門院和子の入内と寛永の行幸-

徳川2代将軍秀忠の娘、和子の入内と、後水尾天皇の二条城行幸は、それぞれ都大路に壮麗な行列を繰り広げ、徳川支配の完成を天下に轟かせました。3代将軍家光は、行幸に備えて城内の大改修を命じ、本丸、行幸御殿の築造、二の丸御殿の改造が行われました。二条城がもっとも華やいだ時代の全容を紹介します。



第3章 寛永障壁画の輝き-日本海画市最大の画派、狩野派の粋-

徳川2代将軍秀忠の娘、和子の入内と、後水尾天皇の二条城行幸は、それぞれ都大路に壮麗な行列を繰り広げ、徳川支配の完成を天下に轟かせました。3代将軍家光は、行幸に備えて城内の大改修を命じ、本丸、行幸御殿の築造、二の丸御殿の改造が行われました。二条城がもっとも華やいだ時代の全容を紹介します。






第4章 激動の幕末-大政奉還の舞台として-

開国につづく尊皇攘夷運動。徳川の支配が揺らぎ始めたとき、歴史の舞台は再び京へ移り、14代将軍家茂は3代将軍以降、実に229年ぶりに二条城に入りました。15代将軍となった徳川慶喜は、ぎりぎりの駆け引きの中、ついに二条城において大政奉還の決意を固めました。幕末の騒乱に揺れる二条城をさまざまな資料で紹介します。


第5章 離宮時代-可憐なる宮廷文化の移植-

明治維新によって、二条城は太政官代・京都府庁という二度の所属の変転を経て、1884年に二条離宮となりました。本丸には旧桂御殿が移築され、二の丸御殿も廊下廻りや室内の一部の障壁画が改められました。これまでほとんど知られることのなかった明治・大正の二条城の姿を城外初公開の障壁画等で紹介します。


第6章 世界遺産二条城-文化財を守る・伝える-

二条城は1939年に皇室から京都市へ下賜され、多くの国宝、重要文化財、特別名勝を保有し、敷地全体が史跡となっています。1994年には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産にも登録されました。貴重な文化財を守るために二条城の行っている模写事業や修理事業について紹介します。



江戸東京博物館開館20周年記念
「二条城展」

今回出品される障壁画のなかでも、二の丸御殿大広間の「松鷹図」は当時絶大な権力を誇った第三代将軍徳川家光を象徴する代表作。徳川幕府の繁栄と終焉を見守った作品でもあります。本展は、二条城が所蔵する3000面を超える障壁画から選りすぐった、“日本絵画史上最大の画派”と呼ばれる狩野派による二の丸御殿障壁画を核とし、徳川家に関連した多数の美術作品や歴史資料など、約100件を紹介(※期間中、展示替えがあります)。将軍に謁見に訪れた大名などを待たせる 遠侍(とおざむらい)の間にはじまり、式台(しきだい) 、大広間、黒書院(くろしょいん) 、白書院(しろしょいん)の諸御殿が連なる二条城の二の丸御殿。その内部を煌びやかに彩る金碧障壁画の数々を一堂に紹介します。なお、二条城の障壁画がこれだけまとまって京都以外で公開されるのは初めてとなります。


「二条城展」公式サイト


「江戸東京博物館」ホームページ


とんとん・にっき-nijyo13 世界遺産登録

「元離宮 二条城」

平成21年11月発行

発行:京都市文化市民局 元離宮二条城事務所









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