根津美術館で「応挙の藤花図と近世の屏風」を観てきました。根津美術館へ行くのは、2009年10月、隈研吾の設計によって現在の建物に建て替えられて再オープンしたとき以来のことです。根津美術館へはその時一度行っただけで、実は古い美術館へも僕は一度も行っていません。根津美術館の旧本館は、今井兼次と内藤多仲の設計でしたから、今から思うとどうして一度も行っていなかったのか、不思議なくらいです。たぶん、日本や東洋の古美術ということで、敬遠していたのではないかと思います。、南青山へは、知人の事務所があって、1980年以降、毎月の集まりでいつも行っていましたし、行った時には車はフロム・ファーストの駐車場に入れてました。
根津美術館といえば、開館記念の時にも話題になりましたが、「那智滝図」と尾形光琳筆の「燕子花図」です。「燕子花図屏風」は、毎年4月下旬~5月上旬の燕子花が咲く頃に公開されていましたが、今年はニューヨークのメトロポリタン美術館の「八橋図屏風」と並べて展示されたことで話題になっていました。残念ながら僕は観に行けませんでしたが。
今回の目玉はいうまでもなく、円山応挙の「藤花図屏風」です。「水墨と彩色双方の技法を駆使して写生と装飾性を高度な次元で融合させた」と言われています。ひと目観て、実は藤の花が少なさ過ぎるのではないかと思いましたが、近くで観ると、一房一房の藤の花が塊となって迫ってきました。「う~ん、そうかもしれな!」、亀戸天神で観た藤の花を思い浮かべました。そしてやはりポイントは、この曲がりくねった枝振りでしょう。「なんなんだ、これは!」と驚くほど、曲がりくねっています。「藤花図のテクニック」として、「1.幹・枝・蔓」「2.葉」「3.花と花房」があげられていて、詳細な解説がありました。
それにしても、円山応挙という人物、いろいろと描いています。僕が最初に出会ったのは、「対決、巨匠たちの日本美術」で、長沢蘆雪と対決した時でした。蘆雪は応挙の弟子で、応挙門下ではひときわ個性的で、天明6年からは、応挙の代理として障壁画を制作したという。その後、三井記念美術館で「円山応挙―空間の創造」展でまとまって応挙の作品を観ることができました。三井記念ではお正月は、応挙の「雪松図屏風」を展示するのが恒例となっていて、僕も何度か観に行きました。
伊年印は、俵屋宗達の工房で制作された印を指します。「草花図屏風 伊年印」は、修理が完成し、始めて公開された作品です。代表作に「風神雷神図屏風」があるが、宗達の作品系列としては、「草花図屏風 伊年印」は、比較的穏やかな作品です。今年の3月に府中で開催された「三都画家くらべ」では、宗達、応挙、蘆雪、椿山の4人、全員が出ていました。椿椿山は、始めてどこかの展覧会で出会ったとき、その名前が冗談かと思ったほどでした。絵は、はじめ谷文晁門下の金子金陵に学び、のち渡辺崋山に「教えを受けたというから、ちゃんとした人で、透明感と迫真的な表現による花卉図で人気を博したという。
コレクション展「応挙の藤花図と近世の屏風」
「草花図屏風 伊年印」
このたび初公開される作品。春から夏にかけての草花を、情趣的な構成と墨調を生かした色感によって優美に描きだしています。俵屋宗達の工房で制作された草花図の優品です。
「藤花図屏風」
「付立て」は一気呵成の筆遣いが魅力ですが、ここでは幹や枝の重なりは巧妙にさけられ、あらかじめ構図を周到にイメージしてから作画されたとわかります。
「赤壁図屏風」
長沢芦雪は、応挙門下でありながら、奇抜な構成や奔放な筆致で異彩を放った画家。中国の景勝地・赤壁に遊ぶ蘇軾らの様子を描く本作品にも、その個性が発揮されています。
「花鳥図屏風」
右隻には桃、柳とそこに飛遊する四羽の燕、左隻には梅樹に芦雁などを配した屏風。江戸で活躍した文人画家・椿椿山は、水墨に彩色を効果的に加え、爽やかな画面をつくっています。
根津美術館庭園
「応挙の藤花図と近世の屏風」
根津美術館の近世絵画コレクションは、屏風絵の宝庫です。そのひとつ、円山応挙(1733~95)の筆になる重要文化財「藤花図屏風」は、一筆で対象のもつ立体感をあらわす「付立て」による幹や、赤紫や群青、白の顔料を印象派さながらに重ね合わせ、複雑な色合いとボリュームを表現する花房など、応挙の写生画風の真骨頂を示す作品です。本展では、この「藤花図屏風」を中心に、修理後初公開となる俵屋宗達工房の優品「草花図屏風」をふくめ、魅力あふれる屏風絵の数々をご覧いただきます。
入場券
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