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植田実の「真夜中の庭 物語に潜む建築」を読んだ!

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とんとん・にっき-mayona

植田実の「真夜中の庭」(株式会社みすず書房:2011年6月10日発行)を読みました。「大人のためのファンタジー・児童文学案内」とありますが、ちょっと変わった「読書案内」といった趣の本です。どう変わっているのか、そこが問題です。

植田実は、1935年、東京に生まれます。早稲田大学文学部フランス文学専攻だったことは、今回始めて知りました。建築関連雑誌などの辣腕編集者として、よく知られています。最も有名なのは、「都市住宅」(鹿島出版会)の編集長としてです。若い建築学生や実務に就いたばかりの建築関係者には絶大の支持を得ていました。僕もその一人でした。なにを隠そう、僕は「都市住宅」を、1967年5月創刊から1986年12月までのすべてを、毎月購入していました。その前に鹿島出版会では「SD」という、建築から都市、アートに至るまでを扱った雑誌を出していましたが、住宅部門がはじき飛ばされて「都市住宅」になったようです。


「都市住宅」廃刊後、全巻ただ事務所に置いておくだけではもったいないと、欲しいという学生さんに譲ってしまいました。その後植田は、「GA HOUSES 」の編集長になります。僕はこの雑誌も、創刊号から50~60冊は毎月購入していましたが、これもあるとき、まとめて学生さんに譲ってしまいました。1988年以来、植田は、「住まいの図書館出版局 」の編集長になり、現在に至っています。そこで書きためたものが、今回の著作になっているようですが・・・。それはそれとして、今回「真夜中の庭」を読んで驚きましたが、なんと文章の達人でした。と、僕が言うのも何ですが・・・。

本の構成は、Ⅰ物語の地誌(11篇)、Ⅱ住まいの辺境(8篇)、Ⅲ追憶の文体(13篇)、の3部構成です。だいたい4~5ページ、長いもので7ページほどの短文を集めたものです。Ⅰ物語の地誌は、月間「MOE」に「空間空想博物館」として連載されたメルヘン・ファンタジー&イメージアート、Ⅱ住まいの辺境は、日本ホームズのPR誌に掲載された自分の偏愛する作家や作品を、Ⅲ追憶の文体は、「子供の本を選ぶ」という小冊子に紹介した全30章のうちの13人が取り上げられています。

ほとんど僕が読んでいない本が多く取り上げられていますが、読んだ本でも、この本を読むと、自分が今まで本をちゃんと読んでいなかったことに気がつきます。例えば子どもの頃読んだ本、「家なき子」「小公女」「グリム童話集」、あるいは子供に買ってあげた本、「ムーミン」「クマのプーさん」「モーリス・センダックの絵本」、あるいはよく聞く本、「ナルニア国ものがたり」「ゲド戦記」、なぜか安部公房の「箱男」の前にはアンネ・フランクの「アンネの日記」が取り上げられています。題名も初めてで、全く知らなかった本がいくつも取り上げられています。


植田の文章の背景には必ず「家」があります。子供の本からその背景にある「家」を浮かびあがらせる文章がほとんどです。「家なき子」は、最終ゴールが「家」であることはもちろんですが、例えば「ハイジ」は、その場所の設定の明快さが決定的だと言います。ハイジとおじいさんの住むアルムの山、そのしたに住むペーターの一家、麓のデルフリ村、鉄道駅のある町枚得るフェルト、さらに遙か遠く500キロ先のフランクフルト。アルプスの高い山からマイン川沿いの都会まで、それぞれの場所は垂直関係に位置していると植田は言います。アルムのおじいさんの家では余計なものがない。この住まいの形が、都会生活と強烈な対照をなしている、という。


植田は、子供向けの本ではあるが、大人が読んでも面白い、大人の本である、というような言い方を、この本の随所でしています。ミルンの「クマのプーさん」を取り上げて、大人のほうが楽しめる本であり、それほど「文学」なのだと語ります。ポオによって短編小説という文学を構成する精巧さと格調をはじめて知った読者は少なくないと思うとして、エドガー・アラン・ポオの「アッシャー家の崩壊」を取り上げています。「私」がアッシャー家の建物を見た瞬間の印象を以下のように記す。眼前にある「単なる家と、邸内のこれということもない景色、荒れ果てた壁、ぽかんと開いた眼の様な窓」には「如何なる豊かな想像で潤色しても到底強ひて美しい姿に装ふ術もなかった」。そして植田は言う、「こんな建築、めったにない」と。

「アンネフランクの運命については、だれもが知っている。しかしそれを語る原点である『日記』はどれほど読まれているのだろうか」と、植田実は問います。「1942年、13歳の誕生日に贈られた日記帳をその日からつけはじめた少女は、その25日後にナチの手を逃れるために両親と姉とともに『隠れ家』に引っ越す。・・・1、2階が店舗と事務所の建物の3階の一部、4階、屋根裏で8人のユダヤ人が日中は音一つ立てず、やかんだけ行動するといった同居生活に入る。建物の外に出ることも土を踏むこともない、ただ数人の支援者が持ってくる食料とニュースにたよるだけの文字通り手足をもぎとられ眼をふさがれた2年2ヶ月近くも続く生活である」。「この日々の詳細を「日記」は少しできすぎだとさえ思ってしまうほどに克明かつ的確に描いている」と植田は言う。


「モーリス・センダックの絵本三部作」では、「かいじゅうたちのいるところ」「まよなかのだいどころ」「まどのそとのそのまたむこう」が挙げ、センダックの絵は、その出自の原風景すなわちポーランドのユダヤ系の血にさかのぼるような傾向と、生まれ育った環境すなわちアメリカの漫画や映画に還元される傾向と、ふたつの世界を行き来するような印象を与えるとし、その背景はじつはひとつに収斂するとして、松居直に従い「アメリカの喜劇映画の原型は、じつはヨーロッパのユダヤ人が伝統的にもっていたコメディのセンスがアメリカナイズされて出てきたものだという、ロナルド・サンダースの実証を紹介している」としています。植田は、「ユダヤ人に限らず世界各国からの移民の財産がさまざまな分野に置いて、いまアメリカ的特質と信じられているものの文化基盤の一角を形成しているに違いない」と述べています。


この本の題名である「真夜中の庭」は、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」からとったと思われます。訳者の高杉一郎は「構成が実に知的で、間然することがない」「美しい建築を眺めているときのような陶酔を感じる」といったことを取り上げて、「トムは真夜中の庭で」における「建築」的構成について話を進めます。いずれにせよ植田は「まず作品を読んでいただきたい」としながらも、最終章に至ると涙があふれ出てしまうとも告白します。「彼女は児童文学者あるいは子ども向けのファンだジーの売り手でありつづける自覚を踏み越えて、不可解な追憶が待ち受ける領域にどんな妥協もなく入り込んでいった。その結果、読者はこの分野に置いて絶対的に信頼できる無類の作家を得たのである」と、絶賛しています。


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