西岡文彦の「絶頂美術館 名画に隠されたエロス」(新潮文庫:平成23年11月1日発行)を読みました。 この本は単行本が出たときから知っていましたが、どういうわけか買うチャンスが巡ってこなくて、今回、文庫本が出たのを知り、これはチャンスとばかりに購入し、一気に読み終わりました。
知れば知るほどエロティック!
絵画の見方がすっかり変わる、目からウロコの美術案内。
観るものの心をときめかせるエロティックな絵画。時を超え、文化を超えて人々を引き付けてやまない「性」の讃歌を湛えた名画の、細部に宿る謎を解き明かす。しどけなく横たわるヴィーナスの足指が反り返っているのはなぜか。実在の娼婦から型取りされた裸体彫刻の、ねじれたポーズの意味するところは? 神話や時代背景を読み解き、読者を知的絶頂(エクスタシー)へと誘(いざな)う、目からウロコの美術案内。
著者の西岡文彦は、1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授。伝統版画技法「合羽刷」の数少ない継承者。日本版画協会、国展で新人賞受賞後、雑誌「遊」の表紙絵担当を機に出版の分野でも活躍。著書「絵画の読み方」で、名画の謎解きブームの端緒をひらく。「恋愛美術館」「モナ・リザの罠」「二時間のゴッホ」等、著書多数。「日曜美術館」「芸術に恋して」「世界一受けたい授業」「タモリ倶楽部」等、美術関連番組の企画出演も多い。
この本を一読して、月並みな言い方をすれば、まさに「目からウロコ」、最も使いたくない言葉ですが、なんと本の帯に既に書いてありました。帯の後には、「名画に秘められた美しき“なぜ”」とあり、「ヴィーナスの足指は、なぜそり返る? 古代ヌードのくびれは、なぜ見事? 無敵のギリシャ軍団は、なぜ全裸? 美少年キューピッドは、なぜ女性的?」とあります。
いつでも、どこでも参照する高階秀爾の「近代絵画史」等々、数ある定番の絵画史からは想像もつかない西岡文彦の解釈は、ホント、見事という他ない。初っぱなから、カバネルの「ヴィーナスの誕生」を見せて、反り返った足指を取り上げ、この絵は明らかに成熟した女性の性的なエクスタシーを描いていると、のたまいます。ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」を観たいがために、フィレンツェはウフィッツィ美術館へ行った身としては、足がこの位置ではひっくり返ってしまうと言われると、もう何も言えません。もちろん、ヌードを描くことを神話や聖書の一場面とすることで、女性の裸を描く口実だったことは、今までもよく言われてきたことでした。
彫刻「蛇に噛まれた女」は、クレサンジュの一時期愛人だった高級娼婦の女性をモデルにしたものだという。この作品は明白、絶世の美女のベッドでの姿を世の男どもに見せつけたものだという。モデルの女性を直接石膏で型を取り、顔のみ古代ギリシャ彫刻のヴィーナスふうにアレンジしたもの、反り返るヌードが性的な絶頂感に身もだえしている姿で、まさにクレサンジュは「絶頂美術」の巨匠、とまで西岡は言う。アルマ・タデマの「テプダリウムにて」は、ポンペイの遺跡を訪れて、その古代のロマンに魅了されたという。注目したいのは、そのセクシーな腰のくびれ、これがセクシャルなインパクトの「2倍効果」を出しているという。ウィリアム・ブーグローも「2倍効果」を狙って「ヴィーナスの誕生」を描いています。
口絵にもあるジャン=レオン・ジェロームの「ローマの奴隷市場」、片足に重心をかけて心持ち内股にする恥じらいのポーズをとっています。同じポーズとしては、ただし裏返したかたちですが、アングルの「泉」があります。新古典主義の大御所アングルは、「トルコ風呂」という作品があり、エキゾチックな東方の女性が折り重なって描かれています。ヨーロッパ人にとっては、男子禁制のハーレムは神秘的であり、トルコ・ブームは全ヨーロッパに及んだという。アングルの「奴隷のいるオダリスク」のポーズは、古代ローマ時代の彫刻「眠るアリアドネ」のポーズから取っているという。「オダリスク」は、フランス語でトルコの君主の愛称やハーレムに使える女性を指します。
アングルの「グランド・オダリスク」は、彼の師であるダヴィッドの「レカミエ夫人の肖像」のポーズと同じで、白いドレスを脱いだハーレム風の美女のヌードです。そのダヴィッドは、革命に殉じた少年を古代彫刻風に描いています。フランス革命の殉教者バラを描いた「バラの死」は、全裸で描かれています。ダヴィッドのアトリエでは、職業的なモデルは使わず、弟子の中でモデルにふさわしいものが全裸でポーズをとったという。ダヴィッドのアトリエの一員、ブロックが描いた「ヒュアキントスの死」は、神に愛された美少年の死の場面です。
ドラクロワも「キオス島の虐殺」で、愛人と推測される女性の悶えるようなヌードを描いています。クールベの女性二人のヌードを描いた「眠り」、ここでは余りにも際どいので、画像は載せられませんが、あのクールベがと、驚きました。最大の特徴は、相手の足に太腿や腰を挿入して刺激し合う行為の余韻が露わに描かれていることです。またクールベの「水浴の女たち」の女性の臀部の見事なこと、ナポレオン三世が「醜悪だ!」と言って、画面に鞭を打ったと言われたものです。クールベの「世界の起源」は、まさに女性器そのものを描いたものです。いやはや。
西岡文彦は、「あとがき」で次のように言う。かかわった最初の美術書「絵画の読み方」(1991年)以前は、美術書と言えば難解な専門用語と小林秀雄ばりの詠嘆的な随筆調が定番で、平均的な知性では読解できないことをよしとする感があった、と嘆きます。作品の解説も、画面に「なにが」描かれているかよりは「いかに」描かれているかを主軸としたもので、しかもその「いかに」の説明の大半は実際の絵画技法とは無縁の、文芸的であっても造形的には無根拠な主観的解釈に占められていたと、批判します。「絵画の読み方」は、そうした文芸的な随想調を排し、平易で客観的な文章によって絵画の歴史資料を読み解き、技法解説も交えて紹介することへの、ささやかな試みであったと、西岡は言います。その答えとしての「絶頂美術館」、今までの美術書と比較して、大変読みやすく、分かり易い。
口絵に載せられていた画像の一部