手の痕跡
もし建築に完璧さだけを追い求めたとしたら、まぎれもなく、機能に研ぎすまされ、冷たく味気ない空間になるであろう。そして、無駄という掴みどころのない言葉の範疇には、人間の生に何か非凡なもの、あるいは空間の本質みたいな何かがあるようだと、常々感じてきている。空間の深い意味において、機能からではなく、人間の本能のような、人がそこに存在するだけで生気が張りつめる空気みたいなものが流れる。そんな空間は、機能優先の空間には見ることはできないであろう。しかるに、建築家の心眼というものに頼るしか手はない。また、人間の思索を深める空間と造形のピュアリティーは、その土地の伝統の文脈の自然なる抽出と、作者の強靭な祈りをこめた造形感覚と自由な思想が基底になくてはならないと思う。(『SPACE』2006年1月、458号掲載「建築家の心眼」より抜粋)
伊丹 潤の遺した言葉である。日本と韓国の二つの国の境界に立ち、建築だけには留まらず、現代美術、書などの作品を遺し、韓国李朝文化にも精通した孤高の建築家。亡くなる前日までスケッチを描き、自らを最後の手の建築家であると語っていた。今回の展覧会では、スケッチ、ドローイングなどを通して、少しでも多くの人に、伊丹 潤の世界をあらためて感じ取っていただきたいと願っている。 ユ・イファ(ITMユ・イファ アーキテクツ代表)
伊丹潤:略歴
1937年東京都生まれ。1964年武蔵工業大学建築学科卒業。1968年伊丹潤建築研究所設立。2006年(株)伊丹潤・アーキテクツ新設。2009年~済州島国際教育都市マスターアーキテクト就任。2011年6月逝去。主な受賞に、2005年フランス共和国芸術文化勲章「シュバリエ」、2006年金壽根文化賞、アジア文化・景観賞(国連人間住居計画UN-habitar主催)、2008年韓国建築文化大賞優秀賞、2010年村野藤吾賞など。
伊丹順については、どういう人だったのか、直接は知りません。たしか静岡県清水市の出身。言わばアウトサイダーで、正統な建築家としては評価されていなかったと思います。彼の作品集、一冊、持っていたはずなのに、どこを探しても残念ながら出てきません。どこかにあるはずですが・・・。だから、初期から中期の作品は、作品集で見てよく知ってはいます。白井晟一ばりのドローイングで、「母の家」や「墨の家」の図面はよく覚えています。韓国で仕事をするようになってからの作品についてはよく知りません。
伊丹潤の仕事は、喫茶店など店舗のデザインが最初だと言われていますが、「母の家」は伊丹潤の実質的なデビュー作です。静岡県清水市にあります。伊丹の育ったところです。打ち放しの壁に半円のガラスがはめ込まれている印象的な外観です。「墨の家」は伊丹潤の自邸兼アトリエです。細長い家で、インテリアが黒く塗られていたので、墨の家と名付けたのでしょう。たしか六本木プリンスホテルへ行く途中の崖っぷちへばりついてあり、何度か前を通って見たことがあります。平屋建てだと思っていましたが、実際には木造2階建てでした。その後世田谷のコンクリート打ち放しの「余白の家Ⅱ」が、伊丹の自邸となります。「彫刻家のスタジオ」のドローイングは、平面も立面もよく覚えています。
1970年代の終わり頃、南青山5丁目の交差点近く、紀伊国屋の前、まだスパイラルができてなかった頃、地下へ降りていくと「TRUNK」というダイニングバーがありました。若いデザイナーや建築家の卵が多く集まっていました。トランクには、もう何回となく通いました。モダンジャズが流れていて、当時は最先端のカッコいいお店でした。素材感のある古い煉瓦を積んだ、やはり全体的に黒っぽいお店でした。その店の設計はたしか伊丹潤だったと思います。今でもあるかどうか、分かりませんが・・・。
伊丹潤が亡くなられたことは、今回の展覧会で初めて知りました。また韓国人の両親の下、日本で生まれ育った在日2世だったこと、韓国での共同設計者が長女のユ・イファさんが務めていたことも初めて知りました。
この展覧会、僕が観に行ったのは5月16日、ずいぶん前のことです。6月23日で終了しています。
3階展示室
4階展示室
「伊丹潤展 手の痕跡」
韓国人の両親の下、日本で生まれ育った伊丹 潤氏は、二つの国のアイデンティティーを引き受けながら、独自の創造力で「手の痕跡」を自身の建築に刻み、芸術作品にまで高めようとし続けました。初期の代表作「墨の家」(1975年)や「石彩の教会」(1991年)など、素材を活かした存在感あふれる建築空間で知られていた伊丹氏は、1998年に竣工した韓国・済州島のゴルフ・リゾート施設をきっかけに、宿泊施設や教会、美術館、集合住宅といった済州島での一連のリゾート開発プロジェクトを手がけ、一躍、韓国での活躍の場を拡げました。こうした伊丹氏の活動は晩年に向かって円熟味を増し、2005年にはフランス共和国芸術文化勲章「シュヴァリエ」、2006年には金壽根文化賞、2010年には村野藤吾賞を受賞するなど、国内外の高い評価を得るに至りました。展覧会では、デビュー作「母の家」(1971年)から逝去後の現在も進行中の韓国でのプロジェクトまで24作品を紹介します。模型や写真とともに、手描きにこだわった伊丹氏の多数のオリジナルのスケッチやドローイング、生前のインタビュー映像、愛用の書斎机なども展示し、氏の遺した「手の痕跡」を辿ります。
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