今年の、第6回大江健三郎賞受賞は、綿矢りさの「かわいそうだね?」(文藝春秋2011年10月刊)でした。4月7日に決まりました。さっそく講談社のホームページから、5月15日の大江健三郎と綿矢りさの公開対談を申し込みましたが、残念ながら選に漏れて参加することはできませんでした。第1回の長嶋有から第5回の星野智幸まで連続して参加できたので、対談の日はしっかりカレンダーに書いておいたのに、本当にがっかりしました。
「大江健三郎賞」は、2006年、大江氏作家生活50周年、講談社創業100周年を記念して創設されたもので、「日本文学に新たな可能性をもたらすとともに、世界文学に向けて大いなる潮流を巻き起こすこと」を目的とした賞です。選考委員は大江健三郎、ただ一人だけです。第6回大江健三郎賞は、2011年1月1日から12月31日までに日本で刊行された、「文学の言葉」を用いた作品約130展の中から、選考委員・大江健三郎によって、綿矢りさの「かわいそうだね?」が選ばれました。
今まで5回、公開対談に出席して、大江健三郎の話すことは、概ね「群像」誌上に載せられた「選評」に書かれていることがほとんどでしたので、ここでは第6回大江健三郎賞・選評の「小説のたくみさと成熟」に従って、その要点を以下に載せておきます。
大江は、綿矢りさの「かわいそうだね?」は、その長さにおいて小説のジャンルで言えば中編小説に入るという。作家が小説の形式について、意識的な人だとわかるともいう。大江健三郎賞は、受賞作が海外において翻訳刊行されるよう、担当者が力を尽くします。この作品は、長さにおいてのみならず、構造、文体、人物配置のすべてにおいて、ティピカルな中編小説、ノヴェッラ、ヌーヴェルですから、海外の読者に対して、日本の中編小説がどういう個性のものかということをモデルタイプとして紹介する役割を果たすのではないか。作者の、小説の長さについての熟考が、最初からその出来栄えを保証している。
小説の書き出しは、語り手の私が、その時現在起こっている地震に気づく一行からです。地震は、これから日本人にとって2011年3月11日と根深く結びついて記憶されるはず。・・・そこで小説の結び近くの《みしみしと細かく家のきしむ音がしたかと思うと、部屋が揺れ始めた。暴れすぎて貧血を起こしたのかと思ったが違う。本当に揺れてる。周期の長い、横揺れの地震だ》という文章を書きつけながら、書き手が、自分の数週間前に書いてしまっている最初の行、《くらりと揺れて貧血かと案じ、家の本棚にしがみついたら、本棚も、壁にかけたカレンダーも揺れていて、ようやく地震だと気づくのだった。》を思い出さなかったはずはありません。
このあたりに、小説を書き続けながら、現実の時を生きている小説家の不思議な感受性の働きを感じとる読み手もいるでしょう。・・・ここに続けて《私は地震がこわい。街なかで、職場で、地下鉄のホームで、いまここで地震が起こったらどうしようとおびえている。1995年の阪神淡路大震災を経験しているせいだ》とも書かれています。小説はそこから、不思議なしかも自然である展開をすることになります。語り手の私=樹理恵はすいぐにも《大地震が起きれば、隆大は私じゃなくてアキヨを助けにいくかもしれない。・・・ねえ、あなたはどっちの女を助けるの。》と考え、問いかけ始めるのです。
小説を各文節ごとに分けるアステリスク、*のマークが現れますが、このわずか6ページの短い章は、小説の導入部分として、申し分のない“たくみさ”で、たちまち作品の骨格を提示してしまいます。・・・私がまず、小説論の側面でいっておきたいのは、このような作者の“たくみさ”です。・・・ここにあきらかなのは、やはり世代や時代の流行を超えた小説家個人の才能なのです。
まず語り手=私=樹理恵がスッキリ示した通りに、樹理恵には隆大という恋人がいます。大都市の中心部のモダーンな百貨店につとめて、有能な働き手としての経験を重ねている樹理恵の生活に、思いがけない出来事が降りかかって来ます。アメリカ育ちで、向こうで働いていた隆大にじつは7年も付き合っていた友達がいる。そのアキヨが突然帰国して(樹理恵より二つ上の30歳という設定も“たくみな”ところ)、こちらで就職できるまで隆大のアパートに同居させてくれと言い出したこと。しかも隆大がそれを受け入れ、私も抵抗しなかったのではないが、結局は承知する。およそ信じがたいことが、しかし相変わらず“たくみに”読み手を納得させてしまう語り口で、現実のことに表現される。それでいて、この小説の展開の、樹理恵にとって不自然ではあった、その違和感が彼女にしっかり残っている内情も、語られているのです。
それからの細部は樹理絵を様ざまに苦しめることになります。次第に表面に出て来る私の内面を、しっかり描く必要がある。・・・これまで結果的にはいつも無抵抗だった私に、今度こそはやむをえぬものとして、隆大のアパートに同居しているアキヨを急襲しようとする意志が出て来る。《ごめんね隆大。あなたの嫌がることは極力したくないんだけれど、もう衝動を抑えられない。樹理恵、突撃します!》。・・・それでも続いての章で、当の危機の感覚はいったん退きます。まず日常的な私=語り手の慣れた職場である百貨店の情景、その店員仲間としてひと括りされながら、私とはまた異なった個性の娘綾羽の、私への批判も示されます。
しかし、多面化を経るうちに、私の心理的閉鎖状況がとうとう露呈してしまうことになる。終局的なカタストロフィーに向けて私=語り手の再度の《突撃、開始。再始動》が行われる。二度目の地震のシーン。ひとり煙草を一服して、この小説をしめくくります。
《これからは悲しいだろう。泣いたり後悔したりするだろう。でもそれはいまじゃない、遠い未来に起こること。まずは、この一服。一つ吸い込むごとにニコチンが身体のすみずみまでゆきわたって、指の先がちりちりふるえるほどの快感。二本いっぺんに吸いたいくらいだ。視界が煙でにじむ。この気持ちを上手く言い表している故郷の言葉があった。なんだっけ。残念だけど、うまくあきらめられる、いいあんばいに現実逃避できる言葉。あ、思い出した。 しゃーない。》
私は綿矢りさという特別な資質を持って生まれ、17歳にしてデビューし、3年後にさらにしっかり認められた小説家が、その後10年間もしかしたら深い孤独のなかで、いかに自分を鍛え続けたかを考えました。そして私はそれが、小説を“たくみに”書く技術を目指しての努力だったはず、という結論に達したのです。そこで公開対談が実現すれば、私はまず綿矢さんに、この10年の自己訓練について語ってもらいたい。そして、これからの20年、30年の、小説家としての成熟への覚悟を話してもらえれば、とねがっています。両者をあわせて、それは彼女に続く文学志望者たちへの、有効な小説論となるはずです。
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