「美の巨人たち」では、過去にだいたい1年に2~3度、思い出したように建築を取り上げて放映されます。2005年11月12日と11月19日の2回にわたって「シーランチ」が「美の巨人たち」に取り上げられ、放映されました。その時にこのブログに取り上げたことがあります。
5月26日、フランク・ロイド・ライトの「マリン郡庁舎」が放映されました。家人がその番組を見ていて、「見てる?」と隣の部屋から声が掛かったので、「おう、ライトだろ!」と答えて、ほぼ全編を観ることができました。今後、BSジャパンで6月24日に同じものが放映されるようです。
「カリフォルニア州マリン郡のサンラフェル。この街の丘陵地帯に、周囲の景色に溶け込むように、限りなく水平に近い姿で巨大な建築物が建てられています。上から眺めると、まるで巨大なブーメランか宇宙船のようですが、驚くべきことに実はマリン郡の庁舎なのです。設計者は、20世紀の建築界のスーパースター、フランク・ロイド・ライト。今回は、彼が最晩年90歳の時に設計したこの貴重な公共建築をご紹介します」と、「美の巨人たち」は始まります。
1973年夏、大学の研究室の先生と研究室の仲間と、全員で15名ほどで、21日間の「アメリカ建築ツアー」に行きました。費用は42万8000円、全額借金でした。前の年に変動制になったばかりで、1ドル300円の時代でした。実務について間もない僕には相当な負担でした。前年にやはり42万8000円でオレンジ色の「ホンダZ」という360ccの車を買ったばかりでした。今から思うと、職場をクビにもならないで、よくアメリカ旅行などできたなと思います。まあ、借金はあとあとまで残りましたが。
ニューヨーク、ニューヘヴン、ボストン、フィラデルフィア、ピッツバーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイ、今でも行ったところは諳んじています。ライトの建築は、ニューヨークのグッケンハイム美術館、ベアランの落水荘、シカゴ郊外のオーク・パークの住宅やユニティ教会、エルキンズ・パークのベス・ショロム・ユダヤ教会、シカゴ大学のロビー邸、ウィスコンシン州のジョンソンワックス本社やジョンソン邸、サンフランシスコのモリス商会、そしてカリフォルニヤ州サンラァファイエルのマリン郡庁舎、こうして思い出すと、けっこう観て回りました。
「現代建築家シリーズ」は、二川幸夫の写真で、美術出版社から刊行された本格的な「建築写真集」でした。海外の建築の情報が少ない当時、二川幸夫の写真集は、情報を得るためには貴重でした。全15巻、そのなかで、フランク・ロイド・ライトだけは①建物編と②住宅編、2巻にわたり刊行されていました。そして「マリン・カウンティ・シビック・センター」は①建物編の最後に載っています。二川は「マリン・カウンティ・シビック・センター」について、以下のように解説しています。
ライトの死の直前の数ヶ月、すなわち1959年の春設計された建物である。サンフランシスコの北に当たる岬に隆起する小さい丘と丘を結んだ壮大な着想を持つこの建物は、実現されたどの建物より雄大である。またこの建物ほど、明確にかつわかりやすく、彼の建築は土地より生まれてくるものであるという思想を示しているものはないだろう。そしてこの先計画が進むにつれて、その規模はさらに大きくなり、しかもその建物全体が人々にとってさらに親しみを増してくることだろう。
「いつか摩天楼(スカイ・スクレーパー)というアメリカ映画を見たことがある。この主人公のモデルはライトだと言われていた。主役はゲーリー・クーパーであった。ライトを演じるとすれば本人を除きゲーリー・クーパー以外には考えられないだろう。映画の中で建築家が事故の納得の出来ないところのある摩天楼の工事場にしのび込んで爆破作業をやりつぶしてしまう場面が印象に残っている。ライトならばやりかねないという危険感が、アメリカノビジネスマンを恐怖に落とし入れ、安全第一をモットーとするこれらの人々とライトとの相互理解を妨害したであろうことは、この映画が象徴的に物語っている」と、浦辺鎮太郎はこの本の巻頭に書いています。
以下、「マリン・カウンティ・シビック・センター」のスライド写真から、スキャンした画像を載せておきます。1973年夏、今から39年前の富士フイルムのスライドなので、だいぶ変色しています。
フランク・ロイド・ライト「マリン郡庁舎」“美の巨人たち”より
フランク・ロイド・ライト
1967年10月10日初版
1972年9月20日5版
写真:二川幸夫
文:浦辺鎮太郎、天野太郎
発行所:美術出版社
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