美術の春「国展86th」を観てきました。家人の知人が「国展」の彫刻部の会員で、毎年、案内の葉書が届きます。葉書には「龍三郎がいて、志功がいた国画会。いま、私がここにいます」とあります。ホームページには「日本最大の公募展、国画会主催の展覧会。公募展と言えばやっぱり国展」とあります。ここ何年か続けて観ていますが、それにしてもこのエネルギーは凄い。このエネルギーをなにか他のことに使ったら、なんて言ったら、関係者に怒鳴られてしまいます。これだけのものを、とても1点1点を丹念に観て回ることはできません。観て回るのは、ほとんど駆け足状態です。数もさることながら、彫刻も、絵画も、作品そのものが大きい。でもそれも楽しみの一つです。
彫刻部の展示室に入ってまず目に付いたのが渡部直の「赤い上着の男」でした。赤い色もさることながら、この座り込んだ青年の構えが迫力があります。家人が「たしか茨城県の人で、去年も観たんじゃない?」というので調べてみたら、去年は「人が両手でできることについて考えてみた」というキリンの上半身?の彫刻で、新人賞を受賞していた人でした。
絵画部では、片桐幸行の「展覧会の絵」という不思議な絵に目が止まりました。画面の右側に葉書が埋め込まれています。そこには次のように書かれています。「拝啓 かあさん、お元気ですか。施設に顔を出さなくてはと思い・・・つい妻に任せっきりでして・・・悪い息子です。今、日本は原発事故で大変な状態です。この事が理解できなくなった貴女は幸せかもしれません。母へ 平成二十四年四月」。
僕がちょっと気になった作品をいくつか、下に載せておきます。
彫刻部
絵画部
写真部
「国画会」の成りたち:ホームページより
1918年(大正7年)文展から自由な制作と発表の場を求めて、京都の青年日本画家・小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、入江波光らは在野としての「国画創作協会」をおこし、その通称を「国展」とした。
創立宣言・・・「各自ハ各自ノ自由ノ創造ヲ生命トス」
(要旨) 「芸術ノ創作ハ極メテ自由ナラザル可カラズ」
「本会ハ創作ノ自由ヲ尊重スルヲ以テ第一義トナス」
同協会は1925年(大正14年)土田麦僊と交流のあった梅原龍三郎を招き、さらに川島理一郎を加え第1部を日本画部とし、第2部として洋画部(現絵画部)を設置した(翌1926年が第1回国展に相当)。そして1928年(昭和3年)国画創作協会の解散に伴い、第2部は名称を「国画会」として独立し、通称の「国展」もそのまま継承した。草創期の国画会の果たした在野団体としての役割は、福島繁太郎の影響もあり、毎年のように諸外国の優れた作家たち(マチス、ボナール、ロダン、ブールデル、バーナード・リーチ、ルオー、モネ、ルノワール、シャガール、ピカソ、セザンヌ等々)を特別陳列して世に広く紹介したことが特筆される。この事は内部的に研鑽の資となったのは勿論、対外的にも海外作品に触れることの少なかった当時の美術界には非常に有益な企画でもあった。以後、絵画部に版画部・彫刻部・工芸部・写真部を加え、5部による美術団体として、戦争激化のためやむなく中止した1945年(昭和20年)を除き、毎年春期に都美術館にて「美術の春・国展」を開催し、2005年(平成17年)には79回展に至る。現在、国画会は創立精神である「創作の自由」をモットーに、個性を重視し多様化する表現様式と新しい世代にも呼応する総合美術団体として、広くファンの支持を得ている。なお、会の運営はすべて合議制である。
会場:六本木国立新美術館
2012年5月2日(水)~5月27日(月)
主催:国画会
公演:NHK厚生文化事業団
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