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「大江健三郎 江藤淳 全対話」を読んだ!

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「大江健三郎 江藤淳 全対話」(中央公論新社:2024年2月25日初版発行)を読みました。

 

現代をどう生きるか

初収録を含む対談全四篇

<同時代批評>柄谷行人

<解説>平山周吉

 

以下は、平山周吉の「解説」からの引用しました。

 

本書「大江健三郎 江藤淳 全対話」は、その二人が行った刺々しい四つの対談を収録している。なかでも三つ目の「現代をどう生きるか」は、大江の谷崎賞受賞作「万延元年のフットボール」をめぐって、江藤が全否定に近い評価を下し、分断を超えてのセンセーションを呼び起こした。

「純文学」が時代の最先端に位置していたからこそ、そんな事態があり得たのだった。960年代のホットな「政治と文学」の論争の場を現出した対談が「現代をどう生きるか」だった。「対談」が”事件”となった稀有な例ではないだろうか。

 

本書の四つの「対談」のうち、別の意味で「事件」性があるのは、最初の「安保改定 われら若者は何をなすべきか」である。なにしろ発表媒体が「週刊明星」なのだから。若者向けの芸能週刊誌で、江藤と大江が仲良く喋っているというのは、これは当時も今も奇観である。大江は「週刊明星の対談になぜ出るか」を誌面で弁解気味に語っている。「これは比較的安保に無関心な人も読むだろう。その無関心な人」に訴えるために出て来た、と。昭和35年(1960)6月12日号の「週刊明星」とは、60年安保闘争の真っ盛りの号だった。対談のリード文が当時の雰囲気を伝えている。

「5月26日、国会は空前の規模のデモ隊に包囲された。『国会解散、岸倒せ!』と叫ぶ安保阻止の波状請願だ。しかし岸首相は相変わらずの強気。トルコでは27日、青年将校の無血クーデターが成功し、メンデレスの”独裁政権”が倒れた。その口火をきったのは学生たちのデモだった。世論を無視して新安保条約を強行する岸内閣に対して、日本の若者たちは、今や何をなすべきなのか」

江藤と大江というエリート意識の強い文学者がもっとも「大衆」に接近した瞬間を伝える貴重な対談になっている。

この時期の二人は、大江の創作に江藤の批評が同伴する「蜜月時代」と文壇では見られていたが、大江がデモ賛成派なのに対し、江藤はデモ懐疑派である。大江は「江藤さんのご意見は、リアリスティックだと思う」と批判的で、自分は「一兵卒になりたい」と夢想的に語っている。

 

二つ目からは文学者同士の対談らしくなる。「現代の文学者と社会」は「群像」昭和40年(1965)3月号に掲載された。大江の純文学特別作品「個人的な体験」が新潮社文学賞を受けた後に行われた。三つ目、四つ目もそうだが、対談は対決調ないしは喧嘩腰となり、お互いが相手の痛いところを遠慮会釈なく衝きまくる。ハードな言論戦となっている。これはこれで、文芸誌掲載の対談としても珍しい。江藤は大上段に「作家にとって表現とは何なのか」を大江に問う。大江が「個人的な体験」を刊行後に、結末を変えた別ヴァージョンの私家版を作った態度を責める。それに対して大江は、三島由紀夫と江藤から受けた批評を検討し、批判に答えるためにやったことだと反論する。その結果、「個人的な体験」は新潮社版が正しい。三島や江藤の批判はあたっていないと確認できた。「もっとも対立的だった批評家の意見をとりいれて」私家版を作ってはみたが、やはり自分の書き方でよかったと、私家版作りを通して三島と江藤の批判を実証的に否定したというのだ。大江の文学者らしい面倒くささが発揮されている。

 

文壇史上サイコ(?))の険悪な雰囲気が支配する対談が、三つ目の「現代をどう生きるか」である。”事件”となった対談は、大江の「万延元年のフットボール」を江藤が「ぼくにとってはあれは存在しなくてもいいような作品」だとこき下ろし、「作者の根源的な声を聴くことができ」ないと批判するところから始まる。自分は「義務感に似た深甚な関心」を大江文学に持つ読者だとして、「否定的批判」に終始する。防戦にまわった大江は、江藤の「一族再会」、「日本と私」といったまだ刊行されていないエッセイを持ち出して、根底的に批判する。大江もまた江藤に対して「義務感に似た深甚な関心」を持ち続けていることがここで図らずむ明らかになる。

「あなたは何のために[小説を]書くのですか」、「あなたはなぜ評論を書くのですか」。こんな基本的な問いかけを、いい大人がするだろうか。江藤は大江の小説に描かれた「他者」を批判し、大江は江藤のエッセイに描かれた「他者」を批判する。ここでは大江文学、江藤批評のそれぞれの弱点が、知己の言としてストレートに表現される。対談の読みどころであろう。

大江との対談に演出された部分があるのか、そうした疑惑も起こるのだが、この対談を機に二人は「絶交」へと進んでいくのだから、そうではないであろう。1960年代文学史の実況中継としては、最大の呼び物が「現代をどう生きるか」だった。

 

四つ目の「『漱石とその時代』をめぐって」は、「波」昭和45年(1970)7月号に掲載された。江藤の書下ろし評伝『漱石とその時代』を、攻守ところを替えて大江が論じたもので、PR誌に掲載されたとは俄に信じられない舌鋒の鋭さだ。ここでも、二人はそれぞれ子規派と虚子派に分かれていく。二人の対談は、これですべて終了となる。

 

大江健三郎:

作家。1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。在学中の57年、「奇妙な仕事」で作家デビュー。94年にノーベル文学賞を受賞。主な著書に、「飼育」(芥川賞)、「個人的な体験」(新潮社文学賞)、「万延元年のフットボール」(谷崎潤一郎賞)など。2023年死去。

 

江藤淳:

文芸評論家。1932年東京生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒業。在学中に55年、「夏目漱石論」を発表し、批評家デビュー。主な著書に「夏目漱石」、「漱石とその時代」(菊池寛賞、野間文芸賞)、「小林秀雄」(新潮社文学賞)、「一族再会」、「成熟と喪失」など。1999年死去。

 

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