「大統領の理髪師」は、イム・チャンサン監督のデビュー作です。弱冠35歳の新人監督が、当時韓国ではタブーとされていた政治色の濃い題材を扱いました。物語は1960年代から1970年代末まで、約20年にわたり韓国の独裁者として君臨し続けた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の、クーデター前夜に始まり、暗殺から国葬までの一部始終を描いています。当時、韓国・北朝鮮にはさまざまな政治的な「事件」がありました。僕は、T・K生の書いた「韓国からの通信」(岩波新書)を、同時代的に読んでいた世代です。
僕が以前に観た「大統領の理髪師」は、コメディー色の強い作品として観ていたようです。これほどまでに、当時の韓国の状況を作品のなかに描いていたのかと思うと、自分自身がふがいない、愕然としました。息子のナガン(イ・ジェウン)が生まれた歳は、1960年4月19日は革命の日でした。翌年1961年、朴正熙は軍事クーデターを起こし、4・19革命後に樹立された文民政権を倒し、1963年に大統領に当選して第三共和制を樹立します。それから20年、韓国は軍事政権による圧政の時代が続きます。
幼い子どもの声で、「僕の父は理髪師です」と、この映画は始まります。1960年代の韓国。大統領官邸“青瓦台”のある町、孝子洞で理髪店を営むソン・ハンモ(ソン・ガンホ)。「豆腐一丁」とも呼ばれ、彼は大統領のお膝元であることを誇りに思い、時の政府を無条件に支持して不正選挙にも荷担し、対抗票を山のなかに埋めたりもする、無知で善良で素朴なごく普通の男です。新米の助手であったキム(ムン・ソリ)を無理やり口説いて妊娠させてしまいます。妊娠5ヶ月のキムが結婚を拒んだときは、政府の「四捨五入原則」を当てはめて、生まなければならないと説き伏せたりもします。そして2人は結婚し、やがて息子ナガンも生まれます。息子の長寿を願ってナガン(樂安)と名付けます。
ふとしたことがきっかけで彼は大統領の専属理髪師に選ばれてしまいます。町の人たちは彼を羨むが、大統領側近ナンバー1の警護室長が見守るなか、大統領にカミソリをあてなければならない緊張のなかで仕事をしています。警護室長は権力争いからか、中央情報部長とはことあるごとに対立しています。ある日の夜、大統領府の裏手の山に北のスパイが潜入します。しかしスパイは突然の下痢でしゃがみ込み、巡回中の軍人に見つかって銃撃戦となります。政府は下痢を「マルクス病」として、下痢をした者は北のスパイと決めつけます。
人々は互いに疑い告発し、疑心暗鬼の状態に陥ります。ハンモの息子ナガンも下痢をしてしまい、北のスパイと断定され、連れて行かれた中央情報部で拷問を受けてしまいます。大統領警護室長と中央情報部長との対立のなかで、ナガンは手足を縛られたまま、理髪店の前に放り出されます。ソン・ハンモは妻と喜び合いますが、長期にわたる拷問の結果、ナガンの足には力が入りません。ソン・ハンモはなんの抗議もできずに泣き寝入り。ソン・ハンモのできることは、ナガンを背負って、ナガンの足を治してくれる漢方医を訪ね歩くことでした。
漢方医はナガンの名前の由来から、「龍になった大蛇がこの子に乗り移っている」と言い、、「数年後に龍が死んだら、龍の目を削り菊の茶に入れて飲ませなさい」とも言う。ソン・ハンモは「疫病神だと?龍の目を削れだと?このクソじじい」と捨て台詞を残して山を下ります。その後、1979年に朴大統領が射殺され、国葬が行われます。ナガンはもう19歳、松葉杖をつきながらも成長しました。国葬の前の日、ソン・ハンモは祭壇に飾られた朴大統領の顔写真の目を削り取ります。
以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。
チェック:1960年代初頭から1970年代末までの激動の韓国で懸命に生きた庶民の姿をとらえた秀作。『殺人の追憶』の名優ソン・ガンホが、体は大きいが小心者の床屋のオヤジにふんし、随所で笑いをとる。『オアシス』の演技派ムン・ソリは彼の妻役で登場。強くたくましい典型的な韓国のアジュンマ(オバさん)を怪演する。”大統領の理髪師”という視点でとらえた生々しい現実を、ユーモアで包んだ家族のドラマが笑いと涙を誘う逸品。
ストーリー:孝子洞で床屋を営むソン・ハンモ(ソン・ガンホ)は、妻のミンジャ(ムン・ソリ)と息子のナガン(イ・ジェウン)と平和に暮らしていた。だが突然新大統領(チョ・ヨンジン)の専属理髪師に任命され……。
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