金原ひとみの「腹を空かせた勇者ども」(河出書房新社:2023年6月30日初版発行)読みました。
文學界9月号
壊しきらずに生き延びる
ひらりさ
はじめに文學界に載っていたひらりさの「腹を空かせた勇者ども」の書評から。
タイトルが「壊しきらずに生き延びる」。以下にその要旨を載せておきます。
「腹を空かせた勇者ども」の語り手・玲奈は、とても幸運な女の子だと思う。自分の親が「パパ」や「ママ」という言葉におさまる存在でないことに、子供時代から気付ける人間は少ない。玲奈にその機会をもたらしたのは、彼女を産み育てているユリの"公然不倫"だ。
仕事と母親業をしっかりこなしながらも、夫と娘黙認で毎週彼氏のもとへ通うユリの「ママではない」時間の存在は、玲奈をいつもモヤモヤさせる。「ママではない」部分のせいで、最悪なことも起きる。ユリの彼氏が新型コロナ感染症にかかり、ユリがその濃厚接触者となったことで、玲奈が部活の試合に出られなくなる。ユリが近所で男性と一緒にいたのを目撃したかもしれないと友達に言われて、感情にまかせてユリの不倫やユリへの罵倒をぶちまけてしまう。
玲奈という少女はちょっと「いい子」すぎるのではないかと感じる部分はある。彼女は、ユリのふるまいを虐待のように感じるときもあると語るし、ユリに対し激情をぶつけることもあるが、非行に走ってユリを困らせることはしない。セックスもドラッグもアルコールも、玲奈の日常には出てこない。これまでの金原ひとみ作品からすると、面食らうほどの清廉潔白さである。
ユリが言葉を尽くせば尽くすほど、彼女が遠く感じて哀しくなるという玲奈だが、ユリが自分に向ける愛情を確信してもいる。その確信が彼女を「いい子」でいさせ、ユリに「ママ」を続けさせる。徹底的に「違う」ふたりだが、お互いの感情は、「壊して生まれ変わる」ことではなく「壊しきらずに生き延びる」ことに向けられている。ふたりの試行錯誤のなかで反復されるのは、「他者に理解されなくても、他者を理解できなくても終わりではない」という、きわめてシンプルなメッセージだ。
陽キャ中学生レナレナが「公然不倫」中の母と共に未来をひらく
知恵と勇気の爽快青春長編
皆が違って複雑で、困難がデフォルトの今を見つめる
幼くタフで、浅はかだけど、賢明な、育つ盛りの少女たち
「この世に小説が存在していることを知らないような愛しい陽キャの小説を書きました。これまで書いてきた主人公たちとは、共に生涯苦しむ覚悟を持ってきました。でも本書の主人公には、私たちを置いて勝手に幸せになってもらいたい、そう思っています。」
ーー金原ひとみ
金原ひとみ:
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。2020年『アタラクシア』で渡辺淳一文学賞受賞。2021年『アンソーシャルディスタンス』で谷崎潤一郎賞受賞。2022年『ミーツ・ザ・ワールド』で柴田錬三郎賞を受賞。著書に『AMEBIC』『fishy』『パリの砂漠、東京の蜃気楼 』 等がある。現在『文學界』にて「YABUNONAKA」を連載中。
朝日新聞:2023年8月2日
文學界9月号
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