新宿・武蔵野館で、楊徳昌監督の「エドワード・ヤンの恋愛時代 4Kレストア版」を観てきました。
エドワード・ヤンは「どうしたら私たちはこの社会で、他者とともに生きていけるのか」という問いを決して投げ出さなかったと、映画監督の濱口竜介はいう。それにしても、ハチャメチャな映画です。
以下、KINENOTEによる。
解説:
台湾ニューウェーブの旗手、楊徳昌が高度成長を遂げた現代の台湾を舞台に、裕福なエリート階級に属しながら心に空虚感の広がる若者たちが、それぞれに人生の転機を迎える三日間を描く群像喜劇。製作は「月光少年」などの監督でもある余為彦。製作総指揮は孫大偉、撮影は香港で「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズなどを手掛けた黄岳泰。同じく撮影の李龍と洪武秀、編集の陳博文、録音の杜篤之はいずれも楊監督の前作「クー嶺街少年殺人事件」のメンバー。衣装と美術は監督夫人で人気歌手でもある蔡琴と、イラストレーターでもある楊が担当。音楽は歌謡曲作曲家の李逹濤。出演は映画初出演のヒロインチェン・シァンチーをはじめ、楊の教え子やその演出した舞台や映画で気心の知れた若手俳優が中心。若き女社長役に「金玉満堂 決戦!炎の料理人」の倪淑君、ヒロインの女優志願の同僚にモデル出身の李芹、またヒロインの恋人役の王維明はじめ、小説家役に「クー嶺街少年殺人事件」の脚本の一員だった閻鴻亜、ヒロインの継母役に同作で母親役だった「月光少年」の金燕玲(本作で金馬奨最優秀助演女優賞受賞)がそれぞれ扮するほか、王柏森、王也民、徐明、陳以文、さらに「暗戀桃花源」の金士傑と陳立美ら「クー嶺街少年殺人事件」で脇を固めた面々が顔をそろえている。『エドワード・ヤンの恋愛時代 4Kレストア版』を2023年8月18日から劇場公開。
あらすじ:
売れっ子の演出家バーディ(王也民)は盗作が噂になり、広告代理店の若き女社長モーリー(倪淑君)に泣きついてくる。モーリーの親友のチチ(チェン・シァンチー)は彼女の右腕でいろいろ細かく気を配り、クビになったフォン(李芹)にも取りなしを約束する。モーリーの婚約者アキン(王柏森)は彼女の会社に出資もしているが、まるで無能でコンサルタントのラリー(ダニー・ドン)に頼りっきり。ラリーはフォンの愛人だがモーリーにも秋波を送り、肘鉄を喰う。チチの恋人ミン(王維明)の継母がチチに転職を紹介するが、チチはモーリーを放って出ていけないというのでミンは不満だ。その後ミンは同僚のリーレンの相談を受け、困っている業者に情けをかけて書類に手心を加えるよう勧める。翌日、チチはバーディが盗作した小説の著作権交渉に行く。小説家(閻鴻亜)はモーリーの姉の夫だが人気作家の商業性を恥じ、清貧を決意して別居中。ミンはモーリーと昼食中にチチの転職話をしてしまう。怒ったモーリーは帰ってきたチチをなじる。ラリーはアキンにモーリーがバーディとデキてると吹き込み、アキンはテレビの人気キャスターのモーリーの姉(陳立美)の番組に出演中のバーディをスタジオで追い回す。ミンが勝手にモーリーに転職話をしたと知ったチチはミンに会いに行くが、そこでリーレンがミンの助言のせいで汚職でクビになったと知る。人生の皮肉に呆然としたチチは小説家を訪ね、彼の小説「儒者的困惑」を読んで感動する。そこにモーリーの姉がやって来るが、夫婦の溝を確認し離婚を決意する。フォンは女優になりたくてバーディを訪ねるが、彼はモーリーに電話で呼び出される。二人が戻って来たところをアキンが浮気の現場だと思って急襲。モーリーは呆れて怒って去り、二人の男は誤解だと気づく。ラリーはバーディの部屋でフォンを見つけて激怒、バーディを追いかける。ひとり残されたアキンはバーディの健気な助手に一目惚れ。チチは小説家の家に忘れた携帯電話を取りに戻るが、自殺しようとしていた彼は彼女が自分のために戻ってきたと誤解、タクシーで去るチチを追いかける。驚いたチチが急停止させた車に小説家は追突、すると突然悟りを開いてしまう。一方ミンは家の前でモーリーに会い、はずみでセックスしてしまうが、彼は彼女とは一緒になれないという。翌朝、モーリーのオフィスにチチが来て心の内を打ち明け、仲直りする。そこに恋する男アキンが来て婚約解消を宣言、モーリーは会社を彼が引き受ける条件でOKする。チチはミンが役所を辞職したこと、彼の父が倒れたことを知る。病院で再会した二人のあいだで、これまでのわだかまりが溶けるように消えてゆく。
必然的に人間性を失わせるこの社会で、
人はいったいどう生きていくのか。
エドワード・ヤンの映画の価値は時間を経ても失われない。それどころか「エドワード・ヤンの恋愛時代」に含まれる洞察は、私たちにとってより切実で、必要なものとなっている。
「恋愛時代」は深い絶望の後にしか訪れない希望を描き出す。希望があるとすれば、互いに動く人と人の出会いと関わりのうちにしかないのだ。エドワード・ヤンは「どうしたら私たちはこの社会で、他者とともに生きていけるのか」という問いを決して投げ出さなかった。
彼の映画にいつまでも敬意と愛を抱かずにおれないのは、そのためだ。
――濱口竜介(映画監督)
過去の関連記事: