2007年12月に神保町の岩波ホールで上映された作品です。岩波ホールの映画は、だいたいチェックしているのですが、この作品はどうしてだったか見逃していましたが、今回、DVDで観ることができました。3・11の大地震に遭遇した時に岩波ホールで観ていた映画が、ヤスミラ・ジュバニッチ監督の「サラエボ、希望の街角」でしたが、内容はそれよりもっと重いものでした。単に反戦映画といっても、様々な内容がありますが、これは正面切って反戦をとなえてはいませんが、明らかに反戦映画と言えます。そして弱冠32歳の女性監督ジュバニッチが取り上げたテーマは「レイプ」でした。
女性に対する性的暴力は、残念ながら戦争ではいつも起きている。しかし、この紛争では、女性への暴力行為だけでなく、敵の民族の子供を産ませることで所属民族までを辱め、後世に影響を残すことが作戦として組織的に行われた、と、「公式サイト」にありました。
宗教が異なる3つの民族が暮らしているボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ボスニア紛争が終結して10年余り、未だ市民の心の傷は癒えていません。エスマは、12歳のサラと二人で暮らしているシングルマザー。政府の生活補助金と裁縫の収入だけでの生活は厳しく、子供がいることを隠してナイトクラブのウエイトレスとして深夜まで働いています。夜は親友のサビーナにサラの面倒をみてもらっているが、多感な年頃のサラとサビーナは度々衝突するようになります。
エスマは過去の辛い記憶から、通勤のバスの中で男の体が近づいただけでも、バスを降りてしまうほどの男性恐怖症です。クラブで働く女たちがセクシーな衣裳を着てお客と戯れてチップをもらう様子をみて、耐えられずに控え室で薬を飲んだりする毎日です。そんなエスマを気遣って同僚のペルダが声をかけ、車で送ってもらうようになります。ペルダも戦争で戦争で家族を亡くしていたことにより、次第に2人の距離が縮まってきます。
サラは、父親は戦争で亡くなった「シャヒード」だと、母親から聞かされていました。サラの修学旅行が近づいてきます。シャヒードの遺児は、父親の戦死証明書があれば、旅費が免除されると学校で言われます。サラは、証明書を役所からもらうように母親に言います。エスマは、サラの父親の死体が発見されなかったので、証明書が発行されないと、苦しい言い訳をします。そして娘の旅費を全額工面するために奔走し始めます。
ある日、友人のサミルは「いいものを見せてやる」と、サラを立ち入り禁止の廃墟に誘います。取り出したのは父親の形見の拳銃でした。サミルは父親の死について語り、サラの父親の最後はどうだったのかと聞きますが、サラは答えられません。サミルは、父親の死のことは知っておくべきだと、サラに言います。とりあえず拳銃は危ないからと、サラが持つことになります。いつまでも母が証明書を渡してくれないので、サラは母親に対して不信感を募らせます。
クラスメイトは、サラの父親の名前が戦死者リストに載っていないと言い出します。母親が証明書を出さずに、旅行の費用を全額払ったことを、サラは知ります。サミルから預かった拳銃を取り出して母親に突きつけ、真実を教えて欲しいと迫り、つかみ合いの喧嘩になります。エスマは、長い間隠してきた秘密をついに口にしてしまいます。
エスマは、収容所で的の兵士にレイプされて身籠もったこと、子供を流産させようとお腹を叩き続けたこと、生まれてきた子どもを見て「こんなに美しいものがこの世の中にあることを忘れていた」と思ったことを、泣きながらセラピーの場で告白します。修学旅行の朝、頭を丸刈りにしたサラを、エスマは見送りに行きます。バスの後で笑顔で手を振るサラ。バスの中では、子どもたちの歌声が響きわたります。
以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。
チェック:ベルリン映画祭で金熊賞ほか3部門を受賞し、そのほかの映画祭でも大絶賛されたヒューマンドラマ。ボスニア紛争の傷あとが残るサラエボを舞台に、秘密を抱える母親と驚がくの真実を知らされる娘の再生と希望の物語が展開する。監督はサラエボ生まれのヤスミラ・ジュバニッチ。『ライフ・イズ・ミラクル』のミリャナ・カラノヴィッチが主人公の母親を演じる。重いテーマを提示する一方、人生にもがく登場人物たちを慈愛の眼差しでとらえた新進女性監督の手腕に注目だ。
ストーリー:12歳の娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)とつましく暮らすエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、修学旅行を楽しみにするサラのため旅費の調達に奔走している。そんな中、戦死者の遺児は修学旅行費が免除されると知ったサラは、戦死したと聞かされていた父親の戦死証明書を学校へ提出するようエスマに提案するが……。
「サラエボの花」公式サイト