今月の100分de名著は「覇王の家 司馬遼太郎」を読む、です。
プロデューサーAのおもわく
織田信長、豊臣秀吉と並んで「戦国の三英傑」と呼ばれる徳川家康。この巨人と作家・司馬遼太郎が真っ向から対峙して書き上げたのが「覇王の家」です。常識にとらわれない司馬の人物観察眼、歴史への洞察力は、これまであまり注目されなかった家康の意外な性格、家康を育んだ土地柄、決断の裏側に潜む価値感などを炙り出していきます。折しも大河ドラマ「どうする家康」が後半のクライマックスを迎え始める8月、「100分de名著」では、「覇王の家」に新たな視点から光を当て、価値観が大きく揺らぎつつある現代を生きるヒントを徳川家康の生涯から学んでいきます。
天文11年、三河国岡崎。周囲を強敵に囲まれた小さな大名家に、ひとりの男の子が誕生しました。竹千代と名付けられた少年は、家を守るために幼い頃から人質生活を余儀なくされます。元服を機に故郷への帰還を果たした彼は、すぐに強敵・織田信長との決戦に巻き込まれていきます。その後「家康」と名乗ることになる彼は、「三方ヶ原の戦」「妻・築山殿と長男・信康の殺害」「決死の伊賀越え」「小牧長久手の戦」等の数々の困難を乗り越え、貴重な経験を糧にしながら、やがて天下を統一を果たし、265年もの太平の土台を築き上げる人物へ成長していきます。
徳川家康や彼と対立する人々が、天下統一を目指してしのぎを削る姿には、「人間関係の築き方」「組織興亡の分かれ道」「失敗から学ぶべきこと」等々…今を生き抜く上で貴重な教訓にあふれています。また、興亡を分けるのは、天の利、地の利、時の利など、さまざまな要因を見定めることが重要だということも教えてくれます。作家の安部龍太郎さんは、徳川家康の光と影を描ききった「覇王の家」は、人間学や組織論、歴史や情勢への洞察などのヒントの宝庫であり、混迷を深める現代社会にこそ読み返されるべき名著だといいます。
個性あふれる登場人物たちが、それぞれの野望を胸に抱きながら、知略、情念、愛憎をからみあわせながら、せめぎあう歴史を描いた「覇王の家」を、現代社会と重ね合わせながら読み解き、厳しい現実を生き抜く知恵を学んでいきます。
第1回 「三河かたぎ」が生んだ能力
家康が歴史の表舞台へと躍り出ることができたのはなぜか。司馬は「たったひとつ、かれが三河に生まれた」ことだと述べる。三河には中世的な深い人間的紐帯が色濃く残っていた。若き日、人質になる事を余儀なくされた家康。「苦難を共にする」という思いが、残された家臣団の更なる団結を生んだ。信玄のような戦術的天才も、信長のような俊敏な外交感覚もなかった家康だったが、こうした紐帯がベースになって部下に対する統率力を磨いていく。第一回は、三河かたぎや若き日の苦難が家康の能力をどう育てていったのかを、司馬の洞察を元に探っていく。
第2回 「律儀さ」が世を動かす
「家康は信長の下請会社の社長にあたる」と喝破する司馬。下請会社を維持するためには徹底的に律儀であることを必要とする。たとえ妻や息子を殺されようとも、命がけともいえる律義さを貫いた家康。だがその律儀さは信長を動かし、戦国社会での世評にも家康という存在を刻み付けていく。「本能寺の変」での信長の死は家康の運命を大きく揺さぶるが、その後どんな天下を目指していくかを家康に練らせることになる。第二回は、奇跡に近い努力を要したと司馬から評された家康の律義さの内実に迫るとともに、信長、秀吉と対比しながら、家康がどんな天下を目指そうとしたかに迫る。
第3回 人生最大の戦果はこうして生まれた
家康の名を戦国の世に轟かせた「小牧長久手の戦い」での大勝。10万という秀吉勢に対して、対する家康軍は1万5千。圧倒的不利の中家康が勝つことができた背景には、家康の「情報戦の巧みさ」「知的柔軟さ」があった。信玄亡き後、家康は甲信を併呑するが武田軍の人材を寛容に迎えいれる。また敵だったにもかかわらず信玄の戦法を心から崇拝し愚直なまでにコピーして活かす柔軟さ。情報戦の巧みさもあいまって家康は見事に劣勢を打開していく。そして、人生最大ともいえるこの戦果は、その後の家康の切り札となるのだ。第三回は、天下に轟いた家康の底力の秘密に迫っていく。
第4回 後世の基盤をどう築いたか
「覇王の家」では意外にもクライマックスともいえる「関ヶ原の戦い」「大阪冬の陣・夏の陣」が一切書かれない。安部龍太郎さんによれば「一度書いたものは二度書かない」という司馬の作家倫理によるものだという。代わりに司馬が注力するのは、最晩年の家康が後世の盤石な基盤づくりのための秘法を側近たちに告げるシーン。「譜代を冷遇し外様を優遇する」という一見不可解な策には家康ならではの企みがあった。安部さんはそこに書かれたかもしれない「家康の未来へのビジョン」を作家的想像力で補う。第四回は、司馬が書かなかったことや、逆に周到に描いたラストシーンを通して、家康がどんな国家像やビジョンをもっていたかを読み解いていく。