井上荒野の「よその島」(中公文庫:2023年3月25日初版発行)を読みました。
「よその島」は、「読売新聞」2017年11月20日~2018年8月24日(夕刊)に連載されたものです。「よその島」の単行本は、2020年3月中央公論社刊です。
初めの「碇谷芳朗」の項から…。
蕗子の手はまだじゅうぶんにみずみずしかった。・・・だがこれは殺人者の手だ、と碇谷芳朗は思った。その妻の手が、芳朗からハンドバックを受け取る。ありがとう、と蕗子は言った。・・・「来ちゃったね」と野呂晴夫が言った。野呂は蕗子と同じ七十歳で、ミステリー小説家だ。「来ちゃったわね」と蕗子が野呂を真似た。三人は今、飛行場から乗ったタクシーを降りたところで、これから住むことになる一軒家を見上げていた。古屋を買い、芳朗と野呂とでああでもないこうでもないとひねくり回して、リノベーションした家だ。西側の道路には海がある。ここは島だった。「さあ、中へ入ろう」芳朗は言った。この島のこの家を見つけてきたのは野呂だったが、そもそもの移住計画の発案者は僕だったのだから。鉄の門扉から玄関のアプローチまでは広い庭があった。今は野原然としているが、蕗子が嬉々として情熱を注いで美しい庭にするだろう。たとえ殺人者でも、僕は妻を愛している。芳朗は自分のその気持ちをあらためて確認した。
ここまで書いただけでも、当然、これはミステリー小説だと思ってしまう。何人もの関係する人が出てきます。それぞれが、それぞれの仕方で関係します。移住先で関係するミステリアスではあるけれど、やはり、愛の物語なんですね。
「死ぬのなら妻より先に逝きたいとひそかに願っている。蕗子に先に死なれてそのあと数年、いや数ヶ月でも、彼女なしで生きるなど、考えただけでぞっとする」そう思っていた芳朗が、その脳のなかで、ついには妻を先に逝かせてしまっているのだから。
井上荒野:
1961年東京生まれ。成蹊大学文学部卒。89年「わたしのヌレエフ」で第一回フェミナ賞受賞。2004年「潤一」で第十一回島清恋愛文学賞、08年「切羽へ」で第百三十九回直木賞、十一年「そこへ行くな」で第六回中央公論文芸賞、十六年「赤へ」で第二十九回柴田錬三郎賞、十八年「その話は今日はやで織田作之助賞を受賞。その他の著作に「キャベツ炒めに捧ぐ」「静子の日常」「ママがやった」「あたしたち、海へ」「生皮 あるセクシャルハラスメントの光景」など。「つやのよる」「それを愛とまちがえるから」「あちらにいる鬼」など映像化された作品も多数。
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