西村賢太の「疒(やまいだれ)の歌」(令和4年6月1日発行)を詠みました。
西村賢太が亡くなって、早くも一年が過ぎました。読まないでとっておいた文庫本です。一気に読みました。(たぶん)これが最後の西村賢太の本です。
中学を出て、その日暮らしを三年半。十代も終わりに近づいてきた北町寛多は、心機一転、再出発を期し、横浜桜木町に移り住み、これまでの日雇いとは異なる造園会社での仕事をはじめた。三週目に入って、事務のアルバイトとして寛多と同い年の女の子がやってきた。寝酒と読書と自慰の他に特に楽しみのなかった寛多に心を震わせる存在が現れたのだった。著者初の幻の傑作長編、ついに文庫化。
根が自意識過剰にでい過ぎ気味の質ながら、ひどく繊細なリアリストでもある寛多であれば、この事実の意味と云うか、その辺りの、同い年の女の心情の機微は、ゆめゆめ見誤ることはないはずだった。かつ、女心収撹術に長けているとの自負を持ち、根が眠れるジゴロにもできている寛多であれば、この自らの見たてには全体的な自信と云うものがあった。(本文より)
つまり自分は、一人だけに次回から排除されたに過ぎなかったのだと云うことに忽然と気が付く。・・・即ち、自分があのよう厭ったらしい排斥をされる程に(その前の宴席のこともある)、かの職場の者全員から嫌われていた事実。これに甚だ打ちのめされる感じになっていたのである。・・・しかしまさかに、勤め始めて僅々二箇月でこの結果を招来するとまでは思わなかったし、またその事実が何だか妙に空恐ろしいものとして受け止められたのだ。余りにも早すぎたこの破綻には、それはイヤでも自らの、何かが欠落した負の人間性と云う思いを巡らさずにはいられないのである。・・・かような愚を犯した以上、もう二度はあの職場にゆくこともできまい。イヤ、”できまい”ではなく、これはもうキッパリと”できない”のである。・・・その彼は、この段に至ってようやくそこに「田中英光全集」の端本二冊の重ね置いてあるのが目に入る。
ラスト、20歳の誕生日を前に、ふらっと入った古本屋での、田中英光や藤澤淸造との初めての出会いが出てきます。
西村賢太:
1967(昭和42)年7月、東京都江戸川区生れ。中卒。新潮文庫版「根津権現裏」「藤澤淸造短篇集」、角川文庫版「田中英光傑作選 オリンポスの果実/さよなら 他」を編集、校訂、解題。著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「暗渠の宿」「二度とはゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾かかえて」「随筆集 一私小説書きの弁」「人もいない春」「苦役列車」「寒灯・腐泥の果実」「西村賢太対話集」「小説にすがりつきたい夜もある」「一私小説書きの日乗」(既刊7冊)「棺に跨がる」「疒(やまいだれ)の歌」「下手に居丈高」「無銭横町」「痴者の食卓」「東京者がたり」「形影相弔・歪んだ忌日」「風来鬼語 西村賢太対談集3」「蠕動で渉れ、汚泥の川を」「芝公園六角堂跡」「夜更けの川に落葉は流れて」「羅針盤は壊れても」「瓦礫の死角」などがある。2022年2月、急逝。
朝日新聞:2022年7月27日:
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