練馬区立美術館で「日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ―」展を観てきました。
過去に三浦篤の「エドゥワール・マネ」を読んだときに、以下のように書きました。
僕が、パリのオルセー美術館へ行ったのは、オルセー美術館の大改修が終わった直後の2014年4月(大改修前にも行ってますが)のことでした。その時の購入したのが、「オルセー美術館絵画鑑賞の手引き」です。その後、日本で開催された「オルセー美術館展」の図録(小冊子)です。共にオルセー美術館を知る貴重な資料です。そして、なぜか、エドゥアール・マネの作品が、意外や意外、思っていた以上に収録されているのには驚かされました。
チラシには、以下のようにあります。
19世紀フランスを代表する画家エドゥアール・マネ(1832-1883)の日本における受容について考察する展覧会です。
画家で美術批評家の石井柏亭は、マネの「草上の昼食」(1863年、オルセー美術館、パリ)にインスピレーションを得て、「草上の小憩」(1904・明治37年、東京国立近代美術館)と題された作品を手掛けました。彼以外にも山脇信徳や安井曾太郎、山本鼎、村山槐多、小磯良平らの作品に、マネからの影響が見受けられます。それは模写であったり、筆触の類似性、そして構図やモチーフの借用であったりと様々です。また、マネへの理解をとりわけ強く主張したのは、批評家であったとも言えます。先述の石井や医師で詩人、小説家、美術評論家の顔を持つ木下杢太郎は、批評家としての発言の中で、マネを理解することこそが西洋近代絵画を受容する上で不可欠であると主張しています。
しかしながら、我が国における洋画黎明期の美術家や批評家たちに見られるマネからの影響については、断片的に指摘されることはあってもまとまった形で示されたことはありません。明治から昭和初期までに見られる作品や批評を通して、日本における「マネとの出会い」について振り返ります。
そして、この出会いから現代にかけて、マネの理解はどのように変化したのでしょうか。私たちはすでに西洋近代美術史の文脈に則り、マネについて認識しているとは言え、欧米の人々、または明治の人々と同じ眼でマネ作品を見ているというわけではありません。そこで、現代の日本におけるマネ・イメージを探るにあたり、美術家の森村泰昌や福田美蘭の作品から、それぞれ独自の視点で展開するマネ解釈を紹介します。
本展では、日本に所在する17点のマネの油彩画(パステル画を含む)のうち7点のマネ作品を中心に、印象派や日本近代洋画、そして資料などの約100点を通して、明治から現代にかけての日本におけるマネ・イメージに迫ります。
展覧会の構成は、以下の通りです。
第1章 クールベと印象派のはざまで
第2章 日本所在のマネ作品
第3章 日本におけるマネ受容
第4章 現代のマネ解釈―森村泰昌と福田美蘭
エドゥアール・マネ代表作品
ここでは第1章から第3章までを「その1」、第4章とマネ代表作品を「その2」にわけて掲載します。
第1章 クールベと印象派のはざまで
写実主義の画家クールベからモネやルノワールをはじめとした印象派までの作品を展覧します。マネは、写実主義と印象主義のどちらにも属しているとは言えません。ここでは、19世紀フランス美術におけるマネの位置づけを考えます。
第2章 日本所在のマネ作品
日本に所在するマネの作品は、印象派の所蔵に比べて決して多いとは言えません。日本にはじめて持ち込まれたマネ作品から、晩年の名品の1点として知られる「散歩(ガンビー夫人)」(1880-81年頃、東京藤美術館)、そしてマネが数多く取り組んだ版画を紹介します。
コラム2 日本所在のマネ作品
マネの版画
第3章 日本におけるマネ受容
最初に表れたマネへのオマージュは、1904(明治37)年に描かれた石井柏亭の「草上の小憩」です。初めてマネの名が文献に登場するのは、明治・大正を代表する意思で小説家、評論家、翻訳家の森鴎外による著述です。絵画と批評を通して、マネ受容を考察します。
ここまでは第1章から第3章までを、第4章とマネ代表作品は「その2」に掲載します。
「日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ―」
展覧会図録
2022年9月8日初版第1刷発行
企画・監修:小野寛子(練馬区立美術館)
発行所:株式会社平凡社
朝日新聞:2022年9月20日
「エドゥアール・マネ 西洋絵画の革命」
角川選書607
平成30年10月19日初版発行
著者:三浦篤
発行:株式会社KADOKAWA