「新潮2012年4月号」(平成24年3月7日発売)で、柴崎友香の「わたしがいなかった街で」を読みました。目次には、「350枚一挙掲載」とあり、「遠い街で戦火に消えゆく命を思いながら、『わたし』は今ここにある生を、歩み続ける。著者最大のテーマに迫る飛躍作。」とあります。新聞で「新潮」の広告を見て、すぐに書店で購入したものです。今まで柴崎友香の著作は、折に触れ読んできました。今回もその延長で、と思ったのですが。
実は「新潮2012年4月号」は、柴崎の作品の他にもう一つ、「100年保存大特集」と題して、「震災はあなたの〈何〉を変えましたか? 震災後、あなたは〈何〉を読みましたか?」という2つの問いを28人の小説家へ投げかけ、その回答を掲載しています。「小誌は文芸誌として、想像力とペンだけで表現する小説家が、想像力の基盤である現実を激しく揺さぶった大震災をどう内的に受け取ったかを知りたい」と、その理由を述べています。こちらも大いに興味がありました。
柴崎友香の過去の作品を思い出してみると、主人公は柴崎と同世代の等身大の女性です。若い独身女性のなんとも言えないモラトリアムなけだるい心境を克明に描いた作品がほとんどです。キーワードはかなり強引に言うと、「写真」「ワープ」「街(歩き)」、そして「大阪・東京」などと言えます。“大化け”はしないにしても、同じテーマを追いかけている柴崎の作品は、「主題歌」「フルタイムライフ」「ハルツームにわたしはいない」「寝ても覚めても」、そして「わたしがいなかった街で」と、着実に進歩してきたと言えるでしょう。
柴崎友香の「わたしがいなかった街で」は、30代半ばの離婚した女性が主人公。この女性・平尾砂羽、大阪から東京に出てきて、最初に住んだ街が世田谷区若林のアパート1階に3年、その後、墨田区太平のマンション7階に5年、そしてまた前に住んでいた場所の近く、世田谷区若林に戻ってきました。マンションは1週間前に完成したばかりの2DKです。引っ越しは業者に全て頼み、段ボールから出して片付けるのは、友人の有子が手伝ってくれます。有子は、5歳の息子・昇太がいますが、外見は20代でしかもアニメ声、つきあっている10歳若い大工の源太郎を連れてきています。有子は昼間は倉庫の検品のパート、夜は知人のバーでアルバイトをしている働き者です。
2DKの窓に吊した白いカーテン越しに、背の高い欅の枝のシルエットが見えます。「たぶん、爆弾が落ちたのはあの欅が集まっている場所の向こう側あたり。65年前の5月、火の手が上がったのは真夜中だったらしい」と、砂羽は思います。月曜から金曜までは、契約社員として務めて4年目になる、物流を扱っている会社に行きます。通勤の途中、iPhoneのアプリケーションでダウンロードした作家の日記を読んでいます。海野十三という作家の65年前の日記で、、世田谷区若林の地名が書いてあり、爆弾が落ちた日のことが書いてあります。「4月9日 建物疎開で、町の変貌甚だし。三軒茶屋より渋谷に至る両側に50m幅で道を広げるというが、それを今盛んにやっていて、大黒柱に綱をつけ、隣組で引っ張って倒している」。
突然訪ねてきた中井は、「クズイって行方不明やねんて」と言う。砂羽と中井は、11年前、大阪で開催された写真のワークショップで知り合います。クズイも参加者の一人。誰にでもすぐに話かける中井と、普段はほとんど喋らないが合評になると本人以外にはわからない比喩でぼそぼそと説明するクズイ。中井は「5、6年前から、外国へ行って帰ってけえへんだけみたいやけど」という。「外国ってどこ?」と」聞くと、「インドネシアとかボルネオ」と言う、「誰が?」と聞くと「クズイの妹。おれ、たまたま会うてん、大阪城で」と言う。クズイの妹の勤務先は関西では大手の学習塾で、講師や学生アルバイト15人を仕切る所長です。中井は、自分より全然えらいやんと大げさに驚きます。
砂羽は、録画した番組の続きを再生して見始めます。アフガニスタン紛争のドキュメンタリー番組です。向こう側も、こちら側も、接触すれば一瞬で死ぬ。その深刻さと、ヤンキー漫画みたいな会話との落差に「絶望的」という言葉が浮かんできます。絶望的に、混じり合わない。あちこちでぶつかり合うだけ。砂羽に預けるために昇太を連れてきた有子の父は、砂羽の見ていた残酷なドキュメンタリー番組を見て、「よく見てんの?モテないよ」と砂羽に言う。「男が来るときはもうちょっと楽しげなやつつけとかなきゃあ。自分といる時間がいかに楽しいかってことをアピールすることが健全だと思うんだな」と言います。「仕事で疲れて帰ってきた家で、妻が頃試合のドキュメンタリーを見ていたらそれは嫌になるだろう」と、別れた夫・健吾のことを思い出して、悪いことをしたと砂羽は思います。
10年前、母から電話があり、指示された病院へ行くと、危篤と聞いた祖父はすでに霊安室に横たわっていました。その前に祖父に会ったときに、砂羽のことを自分の姉だと思い込んでいた祖父が「今日は天気がええけえ、音戸大橋がよう見えるじゃろ」と言ったその橋を、砂羽は見てみたいと思います。半年後、祖父の弟の葬儀に出席するため、砂羽と母と呉に行きました。初めて訪れたその街で、祖父が広島のホテルで働いていたことを知ります。その日、砂羽は音戸大橋を見に行きます。祖父は1945年の6月まで広島市の中心部の、爆弾の投下目標だったあのT字型の橋の近くにあったホテルでコックをしていたと、砂羽は聞きました。
料理の腕はよかったのに長続きせず辞めて、子どもの時に住んでいた呉に戻り、それ以後、広島や関西の各地を数年ごとに移動し、働いていました。高級ホテルで見込まれていたらしいのに辞めてしまって、と親戚が言ったとき、まじめで働き者でずっと務めていたら爆心地近くにいて即死だったろうし、わたしが生まれたのは祖父の仕事が長続きしなかったおかげだと、砂羽は思います。祖父が爆心地にいたかもしれない、と知った瞬間からいくつかのパターンの祖父とその後が思い浮かぶようになり、偶然がそのどれかを選んでいた場合、わたしはいなかった、別の誰かが、わたしの代わりに存在していた、と砂羽は思います。
砂羽は寝る前に、海野さんの明日(4月27日)の日記を読みます。「3月10日は不幸にして風が余りに強かったため、同日だけでも焼失戸数や火災による死傷者数は相当にのぼった」とあり、「当夜、このあたりに旋風が起こり、街の人々を一層恐怖させたとの話。大下邸のすぐそばの焼けた大ケヤキの高い梢の上に、バケツやトタン板がちょこんとのっているのも、これも旋風のためとわかった」とあります。「わたしは、大阪市大正区に27年間住み、大阪市港区の高校に通い、昔は東京都本所区であった墨田区太平で5年間暮らし、今は世田谷区若林から大橋を通って仕事に通い、池袋の本屋にも行ったことがある。その本屋の裏手の墓地には大きな欅がある」。
以下続く・・・
柴崎友香:略歴
1973(昭和48)年、大阪生れ。2000(平成12)年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督によって映画化され、話題となる。『その街の今は』で、2006年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞受賞。また咲くやこの花賞を受賞。著書に『星のしるし』『主題歌』『フルタイムライフ』『ショートカット』などがある。
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