BS1スペシャル「ほんとうに俺でよかったのか 」
2022年2月25日(金) 8:00PM(0H50M) NHKBS1
東へ東へ、東海道を歩き続ける一人の男
東京・日本橋を目指している
歌人 永田和宏 74歳
宮中歌会始の選者を務めるなど
日本本を代表する歌人である。
一里ごとに一里塚見るよろこびを
思ひみることあらざりしかな
永田和宏
河野がいたら河野は絶対ついて行くと言う
まあ、残念ですね
河野裕子享年64 永田和宏
永田さんの妻・河野裕子も有名な歌人だった
国語の教科書にも歌がのる
54歳のとき河野の乳がんが見つかる
苦しい闘病生活のなか夫婦は最後まで
愛するものへの歌を詠みつづけた
手をのべて
あなたとあなたに触れたきに
息が足りないこの世の息が
河野裕子
歌は遺り歌に私は泣くだらう
いつか来る日のいつかを怖る
永田和宏
2010年河野裕子は64歳で亡くなる。
2018年の永田さん
この辺がよく歩いたデートコースですね
自分で言うのも変だけど
けっこう、お互いに、激しかったのかな、そんな気がしますね。
このとき永田さんはまだ激しさの奥底にある
河野の苦悩を知らずにいた
1年後、彼女の青春の真実に向き合うまでは
河野裕子が亡くなった後
実家の押し入れの中から日記が出てきた
永田さんと結婚するまでの、およそ6年間の記録だった
けれど、生涯の伴侶とはいえ、読むことは控えていた
封印を解いたのは2019年の秋、読んでおどろく
そこには2人の男の間で揺れる思いが、面々と綴られていた
はじめて知る河野裕子のすがた
永田さんはどうしたかというと、日記をもとに
赤裸々な青春の軌跡を雑誌に連載し始めた
なぜこまで過去をさらけ出すのだろう
永田さんの心になにが起きているのだろう
永田さんとNさんが
こころの内でもみあっている
河野裕子の日記
あの人に抱きしめられてゐる時も
私はたえずNさんのまぼろしを
見つめつづけていた
河野裕子の日記
永田和宏が連載していた「波」
ほんとうに恥ずかしいことで
だんだん自信がなくなってきたというか、
「本当に俺でよかったのか」という思いがしてきた
ただ、こんなふうに一途に思いながら
青春という時間を過ごしていた女性がいたんだということだけは
知っておいてほしいなっていう、そんな気がしますよね
「ほんとうに俺でよかったのか」
春
独居老人と言へば確かにさうなのだ
牛乳と朝刊取り込みに出る
永田和宏
永田さんは静かに妻の言葉と向き合っていた
永田さんあなたもNさんも
同じ位同じだけ好きな阿呆な私を、
どうぞ突き放さないでおいて。
河野裕子の日記
1960年代後半のその恋は
京都の四季の移ろいとともにあった
あまりにも深く悩み思い詰めていた河野の
葛藤懊悩が何であったか日記には
くり返しリアルに綴られていた
この連載を書き進めつつ波乱ばかりだった
青春を振り返ってみようと思う
連載「あなたと出会って、それから」より
夕闇の桜花の記憶と重なりて
はじめて聴きし日の君が血のおと
河野裕子
ああのとき、私は恋の只中にあって
それでも空しかった
こころの半分だけは灼けるように
まだNさんを忘れることができず疼いていた
夕闇の中に桜の花がどこにも咲いていた
河野裕子の日記
永田さんは京都大学、河野裕子は京都女子大学の学生だった
4月河野裕子から電話があって、角川短歌賞に決まったという
角川短歌賞は歌壇の芥川賞とも言われる賞であり
新人の登竜門でもある タイトルは「桜花の記憶」
連載「あなたと出会って、それから」より
恥毛までロマンスグレイになったぜと
告げたき人もいまはをらねば
永田和宏
夏
ブラウスの中まで
明るき初夏の日に
けぶれるごときわが乳房
河野裕子
永田さんと恋に落ちた頃河野が読んだ歌
永田さんが初めて日記に登場するのはいつなのだろう
一番最初は楽友会館で幻想派第1回例会で
出席13、4名の中の一人として永田君の名前が。
ほんとうによく笑う女性で、感じはよかったし、
いいなあと思いましたね
出会いは1967年の7月
その後たびたび会うようになるのだが、
同じ年の8月、短歌仲間の懇親会で
河野は東京の青年Nと巡り合うのだった
所在なくしていたらNさんが見えて
あなたの歌注目していますよとおっしゃる
河野裕子の日記
いつまでも何を話してもあきなかった
彼のひたひたとした愛情を感じた
河野裕子の日記
はじめの方の日記には、彼に会ったときのことばかりで
彼の記憶とか彼に対する思いと下で占められていて、
それは「あんちくしょう」という気もあるんだけど
こんな一途に思う人がいるんだということは信じられなくて
こんなのとずっと付き合ってきたんだと
我にもなく感激しちゃったんですよね
秋
10月14日
一体、何故あの方からお返事が
一月も来ないのか不思議でならない
河野裕子の日記
Nさん胸のどこかがひきちぎれる程
なつかしいひと
河野裕子の日記
河野裕子と二人だけで会う機会が増えていった
でも会う機会が重なるうちに彼女には
深く思い決めている男性がいるらしいということは
いかに鈍感とはいえども感じざるをえなくなっていた
連載「あなたと出会って、それから」
あの胸が岬のように遠かった。
畜生!いつまでおれの少年
永田和宏
東海道を歩く永田さんを追った なかなかに速い
京都三条大橋を出発したのが2019年2月
以来暇を見つけては距離を伸ばし
少しずつ日本橋に近づいてきた
今は小田原のあたり
歩き通すのが今は目的ですね達成感はあるし
ひとつひとつ着実に積み重ねてるもたいな
それが今わりと喜びですね
冬
12月11日
永田さんが送ってくださる
目まいが始まった
立っているものがしんどい
会館を出たところで崩おれてしまった
河野裕子の日記
「何か」が私たちの間で
まぎれもなく急激に接近した
まだ接近を続けている
一日心がうねりのように乱れていた
河野裕子の日記
陽にすかし葉脈くらきを見つめをり
二人のひとを愛してしまえり
河野裕子
50年前自分とNの間で引き裂かれていた妻の声
永田さんの受け止め方は僕の予想を超えるものだった
あんまり彼女が一途であんなに考えていたのを
同じように受け止めてやってなかったというのが
すごく申し訳ないというかある種ざんげの気持ちかな
こちらの幼さを許しながら
僕よりも遙かに河野の方が
真剣に向き合っていたんだという
「ごめんね」というそういう気分も
ずいぶんと大きくありますね
日記から浮かび上がる河野の苦悩
と同時に永田さんはふがいない自分の青春を否応なく思い出す
結婚を申し込みたくても将来への不安から
ずるずる先のばしにする
大学院を受験するが失敗し就職先もない
自殺未遂の騒ぎまで起こす
そのすべてを連載で書いた
ほんとに無様な青春で
何も誇れるところはないという
恥ずかしいことではあるけどあんなふうにしか
自分たちが生きられなかったというのも事実だし
ほんとうのところ突き詰めたら
河野裕子に出会ったのが俺の人生の
すべてだったんじゃないかと思う
2022年元旦
妻の日記をもとにした青春物語は
前の歳の内に無事連載を終えている
子どもたち孫たち、家族が集う
ああ、それは、人を遠くにやるしぐさ。
彼女には手をあはせないでほしい
永田和宏
仏壇はないので、ここが河野の居場所
仏壇を置かない理由 はかない抵抗か?
デートした「法然院」に河野裕子の墓を決める
ここだったら河野は寂しくないかな
ちょうど今度13回忌なのでなんで
そのときまでに一応お墓だけは
建てようかな思ってるんですけど
河野が満足して死んでくれたんだろうか
という思いがすごくあって
訊くことはついになかった
ほんとうに俺でよかったのかと
訊けなかった
永田和宏
日本橋に到着したとの永田からの写メが。
「今度中山道歩こうと思ってるんですよ」と永田さん
「あの胸が岬のように遠かった」
河野裕子の青春
発行:2022年3月25日
著者:永田和宏
発行所:株式会社新潮社
過去の関連記事: