プロデューサーAのおもわく
19世紀半ば、アメリカ文学の黄金時代を担った作家の一人、エドガー・アラン・ポー(1811-1849)。世界初の名探偵が活躍する推理小説、ゴシック風ホラー、SF海洋冒険小説、思索と哲理に満ちた詩等々…さまざまなジャンルをたったひとりで切り開いていきました。その耽美的で退廃を極めた華麗な文体の作品群は、今も多くの人たちに愛され、読み継がれています。ポーの代表作「アッシャー家の崩壊」「黒猫」「モルグ街の殺人」「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」などの作品を通して、「欲望とは?」「美とは?」「人間とは?」そして「文学表現の可能性とは?」…といった奥深いテーマをあらためて見つめなおします。
ポーのデビュー小説ともいえる「瓶の中の手記」は1833年、24歳のとき。雑誌の創作コンテストで一位を獲得し一躍人気作家に。作品ごとに自在に変幻する作風は他の追随を許さず、19世紀アメリカ文学を代表する作家のひとりに数えられるまでになりました。そんなポーの作品群には彼自身の人生が色濃く反映しています。幼くして母を失い父も行方不明。育てられた養父からも途中で見捨てられ天涯孤独の中、文学でひとり身を立てようとしたポー。その後も、雑誌社からの解雇、妻との死別、新たな恋人との間の婚約破棄など不幸は続きます。しかし、そうした人生を栄養分にするかのごとく、自身の文学性を高めていきます。
ポー作品の魅力はそれだけではありません。ポーは、創作者にして批評家という才能だけではなく、卓越した編集者としての能力も大いに発揮しました。何よりも「読者」を読み、同時代の読者たちが好む文学ジャンルの約束事を読み取ってはそれをずらして新奇を狙い、これまで存在していなかったジャンルを次々に創造していったのです。そんなポーの活躍は、やがてボードレール、ジュール・ヴェルヌ、ナボコフ、スティーブン・キング、江戸川乱歩といった世界中の作家たちに大きな影響を与えることになるのです。
番組では、アメリカ文学者の巽孝之さんを指南役として招き、ポーの文学を分り易く解説。代表作4冊に現代の視点から光を当て直し、そこにこめられた【人間論】や【美学】【文学表現の奥深い可能性】など、現代の私達にも通じる普遍的なテーマを読み解いていきます。
「エドガー・アラン・ポー スペシャル」
巽孝之(アメリカ文学者、慶應義塾大学名誉教授)
[はじめに]文学ジャンルの開拓者
第1回 3月7日放送/3月9日再放送
「ページの彼方」への旅
――「アーサー・ゴードン・ピムの旅」
SFの起源の一つともされる本作品の主人公アーサー・ゴードン・ピムは冒険心やみがたく捕鯨船に密航。ところが、船員の反乱、暴風雨との遭遇…と数々の困難にぶつかる。なんとか生き残ったピムは救出されたものの、そのまま南極探検に向かうことに。その果てに驚くべき光景を目にすることになるのだった。さまざまな壁にぶつかる主人公の旅自体が、作家ポー自身の人生と重なる。ピムが最後に遭遇する真っ白な瀑布は、自分を解雇したホワイト氏への揶揄でもあり、物語の成立条件そのものを飲み込み「ページの白」の彼方へと読者を送り込む仕掛けとも読めるのだ。第1回は、ポーの人生と創作過程を象徴するピムの冒険行を読み解き、「ポーにとって文学とは何か」という根源的なテーマを解き明かしていく。
第2回 3月14日放送/3月16日再放送
作家はジャンルを横断する
――「アッシャー家の崩壊」
陰鬱な屋敷に旧友ロデリックを訪ねた語り手の「私」。神経を病んで衰弱した友と過ごすうち、恐るべき事件が次々に起こっていく。病み衰えて死んだはずの妹の甦り、あたかも小説の朗読にリンクするように崩壊を始めるロデリックの精神……。ゴシック風ホラーの傑作といわれるこの作品は、「散文」と「詩」が見事に融合し、驚くべき効果を発揮している。いわば、雑誌編集者としてさまざまなジャンルを横断し続けたポー自身を象徴するような物語だ。第二回は、「アッシャー家の崩壊」の執筆背景も合わせて掘り下げ、文学ジャンルを横断し融合させながら新たな表現の可能性を切り開いたポーの創造力の秘密に迫っていく。
第3回 3月21日放送/3月23日再放送
「狩るもの」と「狩られるもの」
――「黒猫」
妻と一緒に可愛がっていた一匹の黒猫。アルコールの痛飲によって精神をむしばまれた男は、その猫を虐待するようになり発作的に殺してしまう。だが男は、その猫の呪いを受けるかのように破滅していくのだった。執筆当時のアメリカは禁酒運動が盛んな時代。徹底的に欲望が抑圧される社会の中で、いびつに歪んでいく人間の精神をこの物語は見事に象徴化して描いている。第3回は、「黒猫」を読み解くことで、抑えつければ抑えつけるほど歪んだ形で噴出してしまう人間の欲望の怖ろしさについて考察する。
第4回 3月28日放送/3月30日再放送
ミステリはここから生まれた
――「モルグ街の殺人」
パリの町で真夜中に母娘が殺された。殺人現場は鍵がかかっていて窓も閉まったまま。この不可解で残酷な事件の解決のために世界文学史上初の名探偵デュパンが登場。その鋭い分析的知性は彼のビジネスの武器でもあった。推理の果てに浮かび上がるのは想像もしないような犯人。その犯人像には、当時アメリカ南部を席捲していた黒人差別の状況が色濃く反映していた。最終回は、世界初の推理小説を読み解くことで「人種差別の問題」や分析的知性すら資本と化す資本主義の根深さに迫っていく。