伊藤比呂美の「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」(朝日新聞:202年11月30日第1刷発行)を読みました。副題には「暮らしともろもろとお経」とあります。
「閉経記」を書いた時に、以下のように書きました。
購入しただけで、まだ読んでいない伊藤比呂美の本は、以下の通り。
「良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)」中公文庫
「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」講談社文庫
「女の一生」岩波新書
「日本霊異ナ話」朝日文庫
ここからがむずかしい。
「たどたどしく声に出して読む歎異抄」ぷねうま舎
「新説説経節 小栗判官・しんとく丸・山椒大夫」平凡社
そしてそして最新刊、
「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」朝日新聞出版
いろいろと迷った結果、最新刊の「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」を読みました。伊藤比呂美は、詩人であり、小説家でもあり、エッセイストでもある、そして古典の現代語訳までを行う、結局すべてが自分を描くという、稀なる人です。
どんな本なのか?
古典新訳に定評のある詩人による、暮らしに結びついたお経現代語訳、自然を見つめる明るいまなざし、「生きる」ことへのやわらかな希望のある極上エッセイ。耳でも味わいたい著者によるお経朗読9編をふくむCDつき。
寝たきりの母、独居する父。
死に方がわからないかのように生きている親を見ていて考えた。
「生きること死ぬこと」について、老い果てぬ前に準備をしたらいいのではないか。
老いて死ぬ不安を、苦しみを、少しでも軽くする道はないか。
遠いカリフォルニアから通いつつ看取りをつづけるうちに、娘はお経に出会った。
そして今、両親と夫の死を見届けて、
誰もいなくなった荒れ地や海辺を、犬と歩く。
日没を見て、月の出を見て、小さな生き物の生きざまを見る。
雨を見て、風を見て、地震を見る。
自然のめぐりと生きることと死ぬことが重なっていく。
「目次」
父と母とお経とわたし
開経偈「今、出遭いました」
三帰依文「仏教に出遭えたミラクル」
三宝礼「みをかがめます」
秋篠寺伎芸天/空
般若心経「完成に向かって」
二河白道「河を渡る」
源信の白骨観「ホラホラ、これがおれの骨だ」
九相詩「死体のあと」
「白骨」と「九相詩」
源氏物語表白「紫式部の往生」
風信帖「一通の手紙、空海から最澄へ」
雲/雨
法華経薬草喩品偈「大きな木や小さな木」
骨/鏡/手紙、父へ
阿弥陀経「浄土とはこんなところです」
犬になる
四誓偈「四つの誓い」
本誓偈「ただおこなえ」
犬を待つ/写真
聞名得益偈 「みんないける」
ウサギ/スカンク/藪の中/巣立ち/キノコ
法華経従地涌出品偈(部分) 「涌き出したボサツたち」
法華経方便品(部分) 「なぜ仏は世にあらわれたか」
法華経如来寿量品偈(自我偈) 「私が目ざめてからこのかた」
名前
一切精霊偈「一切のたましいは」
7度21分40秒/日没/朝の月と満月
発願文「ねがっています」
お盆を思う
摂益文「み名をよぶ」
瓦礫のお城とただの草/サフラン
犬と怨憎会苦/料理しなくなって
春の小川
死んでいく人
仏遺教経「最後のおはなし」
総回向偈「あまねくひとしく」
総願偈「あるいてゆきます」
あとがき
主な参考文献
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