高橋源一郎の「非常時のことば 震災の後で」(朝日文庫:2016年6月30日第1刷発行)を読みました。
本のカバーには、以下のようにあります。
「3・11」以降、ことばはどう変わったのか。この世の「地獄」を表現したジャン・ジュネや石牟礼道子の美しさ、ナオミ・クラインと太宰治の類似性など、詩や小説、活動家や政治家の演説を自在に引用し、ことばの本質に迫る。タカハシ先生の文章教室特別編。(解説・荻上チキ)
「非常時のことば 震災の後で」は、以下のように始まる。
とても大きな事件が起こった。ぼくたちの国を巨大な地震と津波が襲った。東日本のたくさんの町並みが、港が、津波にさらわれ、原子力発電所が壊れた。たくさんの人たちが亡くなり、行方不明になり、壊れた原子力発電所から、膨大な量の放射性物質が漏れだした。災害の規模は桁外れに巨大だった。66年前に終わった戦争以来、もっとも大きな災いが起こったのだ。そして、人びとは、同時にことばを失ったように、ぼくには思えた。
目次を挙げておきます。
まえがき
I 非常時のことば
ことばを失う
すべて自分の頭で考える
掘っ建て小屋みたいな文章を書く
この世の地獄の美しさ
耳を澄ませば
Ⅱ ことばを探して
林道を進む
「空気」に抵抗する
降ってくる放射性物質が、くっついた文章
二つの世界の間をさまよって
「現実」の文章
Ⅲ 2011年の文章
「文章」が生まれる場所
「あの日」からの文章
根を張ること
真夜中に
2011年に、「自分の子どもではない赤ん坊」を育てる小説を読むこと
「ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって
ここに いることは できない」ということ
「あの日」の後に、書かれた「文章」
問いのない答え 文庫版あとがき
解説 荻上チキ
目次を見ると、川上弘美の「神様2011」については出てきませんが、実際には「神様2011」について、「Ⅱ ことばを探して」のなかに圧倒的な量で書かれていますし、この本のなかの主要な箇所なのです。「神様2011」は、川上弘美がデビューした頃(20年ほど前)に書いた小説をリメイク(書き直す)したものです。はしょり過ぎて非難されるかもしれませんが、高橋は「神様2011」について以下のように言う。一つの世界だけを見ていながら、同時に、その世界に重なるように、震えて、微かに存在している、もう一つの世界。そんな、匂いや気配しか存在しないような世界を感じとること。それこそが、なにかを「読む」ことだ、と。
さて、分かり易かったのは荻上チキの解説。いわく、この世界には「理のことば」と「情のことば」があり、「理のことば」は、部外者であっても獲得することが容易であるが、「情のことば」は当事者以外が身に付けるのは難しい、と。
作家という生き物は、他者の「情のことば」を、見事に再翻訳してみせる。例えば川上弘美の「神様2011」。高橋による並置によって、一層その作品の力強さが浮き彫りになる。「あの日」以前のバージョンと、「あの日」以降のバージョンとを比べることで、いかなる日常が奪われ、新たにいかなる日常が生まれたのかが伝わってくる。
ことばは、世界を認識するための大事な手段だ。いっとき失ったとしても、日常はまた、やってくる。その日に向けて、ゆっくりことばを紡げばいい。豊かなことばの数々が、この世界には満ちている。高橋氏は、そうあなたに告げている。(荻上チキ「解説」より)
高橋源一郎:
1951年広島県生まれ。作家、明治学院大学教授。横浜国立大学経済学部中退。81年 「さよなら、ギャングたち」で第4回群像新人長篇小説賞で優秀作となる。88年「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞、2002年「日本文学盛衰史」で第13回伊藤整文学賞、12年「さよならクリストファー・ロビン」で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。著書に「恋する原発」「動物記」「ぼくらの文章教室」「ぼくらの民主主義なんだぜ」など多数。
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二度結婚し、二度離婚した。
(ブログを始める前にはもっと読んでた)