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時代の栞「無法松の一生」岩下俊作 1941年刊 地元北九州で愛されるわけ

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朝日新聞の時代の栞に、岩下俊作 1941年刊「無法松の一生」が取り上げられていました。

 

朝日新聞:2021年10月6日

 

 

 

直近で観た「無法松の一生」、テレ ビで放映していました。

 

シネマ「無法松の一生 4Kデジタル修復版」

2021年10月7日(木) 1:00PM(1H21M) NHKBSプレミアム

 

稲垣浩監督、坂東妻三郎主演の1943年の作品「無法松の一生」です。

脚本が伊丹万作。出演は坂東妻三郎のほか、奥さん役に園井恵子、子役が長門裕之でした。

 

 

 

 

 

 

以下、過去の記事です。

稲垣浩監督、三船敏郎主演の1958年の作品「無法松の一生」です。

稲垣浩監督の「無法松の一生」を観た!

 

「無法松の一生」を観た!(再掲)

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「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」は、映画監督・山田洋次が、日本映画の名作100本を選び、放送していく番組で、2011年度は「家族」を描いた名作50本を放送し、2012年度は「喜劇」を描いた作品50本を放送しました。いままで「名作100本」を観て、このブログに書いたのは、思い出すままに、以下の通りです。

・裸の島

・キューポラのある街

・利休

・泥の河

・にあんちゃん

 

稲垣浩監督、三船敏郎主演の1958年の作品「無法松の一生」は、2011年5月15日にNHKBSプレミアムで「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」として放映されました。たまたま僕はこの映画を録画してありました。「無法松の一生」はかつて公開されたときに観ていた映画でした。いまから50数年前のことですが、けっこう細かいところまで覚えているものです。自分でも驚きました。もちろん、この映画の最大の見せ場は、三船敏郎が小倉祇園太鼓を、秘めた思いを爆発させるように、力いっぱいたたくところです。

 

映画「無法松の一生」は、北九州市小倉が舞台の物語です。乱暴者だが義理人情に厚い人力車夫、無法松は、出入りしていた軍人宅の「未亡人」一家に尽くします。彼女をひそかに愛するものの、黙したまま死んでゆきます。「でも祇園太鼓は本来、同じリズムで両面打ちでたたく独特のものです。勇み駒、流れ打ちといった派手な叩き方は、実は父の創作なんです」。そう語るのは「無法松の一生」の原作者・岩下俊作の三男、八田昴さん(74)です。

 

どうしてずいぶん前に録画していた「無法松の一生」を観ることになったのか。実は朝日新聞土曜日9月6日「be」欄の「映画の旅人」で、「無法松の一生」が取り上げられていたからです。前の八田昴さんのコメントも、そこからとりました。無法松が祇園太鼓を連打する場面は強烈な印象を与え、全国各地の祭礼で太鼓は派手にたたかれ、現在の和太鼓ブームにつながったと、記事は伝えています。

 

1906年、小倉に生まれた岩下俊作は、隣町にある八幡製鉄所に勤めながら、詩を書き同人誌を編集したという。39年、「九州文学」に載せた「富松松五郎伝」が中央文壇の目にとまります。直木賞候補にあがり、翌年、「オール読物」に掲載されます。直木賞は取れなかったが、劇作家岩田豊雄(獅子文六)が「自己犠牲の物語だから、今の社会に十分通用する」と文学座で上演。さらに大映が43年、「無法松の一生」と改題して映画化しました。「男はつらいよ」の寅さんの原型となった人物との見方もあると、記事は伝えています。

 

朝日の記事で大きく扱っているのは、「2度も検閲カットを受けて」として、映画のフィルムがかなりカットされたことについてです。カットの理由は、市井無頼の車夫が、帝国軍人の未亡人に恋慕の情をもつなど、もってのほか、という理由だったと稲垣監督はいう。シナリオを執筆した伊丹万作は、脚本段階で賭博シーンが削られたという。検閲カットは他にもありました。敗戦後、日本は民主化し、検閲制度は消えたはずでしたが、今度は米占領軍でした。小学生が学芸会で歌う唱歌「青葉の笛」がやり玉にあがります。民主化された日本で封建的な時代の歌を聞かせ、賛美するようなシーンを見せてはいけない、という理由からでした。

 

以下、「be」欄「映写室」より。

映画「無法松の一生」は、北九州・小倉の作家岩下俊作(1906~1980)の原作「富松松五郎伝」を、伊丹万作(1900~1946)が脚本化し、稲垣浩(1905~1980)が監督した。太平洋戦争で日本に敗北の色が濃くなった1943年に公開された。岩下は、フランスの劇作家ロスタンの劇「シラノ・ド・ベルジュラック」を念頭に置いて松五郎を描いたという。映画では、明治時代の九州・小倉で人力車を引く暴れ男松五郎を坂東妻三郎が、松五郎が慕う吉岡夫人を宝塚出身のスター、園井恵子が演じた。また、夫人の息子役で、子役時代の長門裕之が出ている。戦後の1958年になって、やはり稲垣監督がメガホンをとり、カットされた部分を復元、伊丹の脚本通りにリメークされた。三船敏郎が松五郎を、夫人は高嶺秀子が演じた。製作は東宝。映画はベネチア映画祭グランプリを受賞した。三国連太郎(東映)や勝新太郎(大映)が松五郎役を演じた映画もある。「無法松」は歌謡曲でも歌われ、村田英雄の「無法松の一生」は大ヒットした。坂本冬美の「あばれ太鼓」も知られる。


ラスト、

大正6年の祇園祭の日、敏雄は夏休みを利用して、本場の祇園太鼓をききたいという先生を連れて小倉に帰って来た。松五郎は自からバチを取った。彼の老いたる血はバチと共に躍った。離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめて打つ太鼓の音は、聞く人々の心をうった。数日後、松五郎は飄然と吉岡家を訪れた。物言わぬ松五郎のまなこには、涙があふれていた。それ以来、松五郎は夫人の前から姿を消してしまった。雪の降る日、かつて敏雄を連れて通った小学校の校庭に、かすかな笑みをうかべた松五郎が倒れていた。残された柳行李の中には、吉岡家からもらった数々のご祝儀の品々が手をつけられずにあった。その奥底には敏雄と夫人宛の貯金通帳もしまわれていた。良子夫人は泣きくずれるのだった。 (「Movie Wolker」より)

 

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