Bunkamuraル・シネマで、ヤスミラ・ジュバニッチ監督の「アイダよ、何処へ?」を観てきました。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督の過去の作品、「サラエボの花」と、「サラエボ、希望の街角」、観てるんですね。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督の「サラエボ、希望の街角」を観た!
わずか四半世紀前のボスニアで何が起こったのか?戦後ヨーロッパ最悪の集団虐殺事件「スレブレニツァ・ジェノサイド」の真実とは―――
ボスニア紛争末期の1995年7月11日、ボスニア東部の街スレブレニツァがセルビア人勢力の進行によって陥落。避難場所を求める2万人の市民が、街のはずれにある国連施設に殺到した。国連保護軍の通訳として働くアイダは、夫と2人の息子を強引に施設内に招き入れるが、街を支配したムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連軍との合意を一方的に破り、避難民の移送とおぞましい処刑を開始する。愛する家族と同胞たちの命を守るため、アイダはあらゆる手を尽くそうと施設の内外を奔走するが―――。
[ボスニア紛争とは]
ユーゴスラヴィアから独立したボスニア・ヘルツェゴヴィナで1992年~95年まで続いた紛争。ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人の3民族による戦闘の結果、人口435万人のうち、死者20万人、難民・避難民200万人が発生した。
『ノー・マンズ・ランド』以来19年ぶりにボスニア映画としてアカデミー賞ノミネート!
故郷ボスニアの紛争による傷跡を描き続ける女性監督ヤスミラ・ジュバニッチの最高傑作
綿密なリサーチに基づき<ジェノサイド=集団虐殺>というセンシティブなテーマに取り組んだのは、多感な十代の時にこの惨たらしい紛争を経験したヤスミラ・ジュバニッチ監督。ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したデビュー作『サラエボの花』(06)以降、一貫してボスニア紛争の傷跡を描き続けてきた。重い事実を今に伝える本作は、2020年ヴェネチア国際映画祭で大反響を呼び、ボスニア映画としては『ノー・マンズ・ランド』(01)以来、19年ぶりに米アカデミー賞国際長編映画賞へのノミネートを達成。インディペンデント・スピリット賞では外国語映画賞を受賞し、大手映画批評サイトのロッテントマトで100%フレッシュを獲得するなど、ジュバニッチ監督の最高傑作として絶賛を博している。
<allcinema>による解説:
「サラエボの花」「サラエボ,希望の街角」のヤスミラ・ジュバニッチ監督が、ボスニア紛争末期に起きた戦後欧州最悪の残虐行為と言われる“スレブレニツァの虐殺”を描き、アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートをはじめ数々の映画賞に輝いた衝撃のドラマ。通訳として国連保護軍に協力してきた女性を主人公に、敵対するセルビア人勢力に街を支配され、避難場所を求めて国連施設に市民が殺到する中、家族の命を守るために懸命に奔走する姿を描く。主演は「バーバリアンズ セルビアの若きまなざし」「鉄道運転士の花束」のヤスナ・ジュリチッチ。
ボスニア東部の街スレブレニツァ。ボスニア紛争末期の1995年7月、ムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連が安全地帯に指定していたこの街への侵攻を開始、たちまち制圧してしまう。やがて避難場所を求める2万人の市民が国連施設に殺到するが、ゲートの中に入れたのはごく一部で、周囲はあふれた人々で混乱状態に。そんな中、国連保護軍の通訳として働くアイダは、夫と2人の息子を施設内に招き入れるためにあらゆる手を尽くす。やがて避難民の引き渡しを要求するムラディッチ将軍に対し、軍事力で圧倒的に劣る国連軍は為す術もなくほとんど言いなりとなってしまうのだったが…。
映画『アイダよ、何処へ?』公式サイト (aida-movie.com)
朝日新聞:2021年9月17日