ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」(平成15年3月1日発行。、令和2年11月20日20刷)を読みました。そろそろ読まないとと思って本棚から出しておいたものです。なんと、朝日新聞の「ひもとく」に取り上げられていました。
前にも書いたとおり、ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」は、読んだことがあったような気がしていました。その文庫本が、押し入れの中から紐にくるまれた状態で出てきたんですよ。奥付は、(平成15年3月1日発行、平成18年6月10日10刷)です。たぶん、15年近くも前のことです。
今回、デビュー作でピュリツァー賞を受賞するなど、世評が高い「停電の夜に」を再び読んで、訳者の小川高義は以下のように言う。
「初めての子の死産以来、何かとすきま風の吹いていたインド系の若い二人が、電気の消えた夜の闇で夫婦仲を回復するのかどうか――という機微を、読者の予想をたくみに裏切りながら、まさにロウソクの光のように明暗のゆらめく経過として描きだす」。
ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」は、9篇の短篇で成り立っています。
停電の夜に
ピルザダさんが食事に来たころ
病気の通訳
本物の門番
セクシー
セン夫人の家
神の恵みの家
ビビ・ハルダーの治療
三度目で最後の大陸
訳者あとがき 小川高義
ラヒリはロンドンで生まれたが、幼いときに両親と渡米し、ロードアイランド州で育った。両親が軽かった出身のインド人で、父は大学図書館に勤めているというところは、「三度目で最後の大陸」の設定に似ています。訳者の小川高義は、あえて好みを言うならばと断りながら、「三度目の正で最後の大陸」を一押しに挙げています。
「移民男性の一人称語りに視点を据えて、しかも男の名前を明かさず、したがって誰の物語でもいいような普遍性を持たせた上で、新しい国になじむことと新しい夫婦がなじむことをリンクさせたストーリーである。作者にとっては両親の世代である移民たちへのオマージュともいえる仕上がりだ。ほとんど長編を読んだ後のような、ずっしりした感慨が残るのではなかろうか」。
またまた「訳者あとがき」からの引用です。
「訳者の見るところ、その美質は細やかさと視点にある。緻密な観察力を土台にした肌理の細かい文章は、それだけで魅力的だ。物語の運び方としても、たいした大事件を起こすわけではなく、また民族性を振りかざしてドラマを盛り上げることもしない。それでいて、何らかの意味でアメリカとインドの狭間に身を置いた人々の、いつもの暮らしの中に生じた悲劇や喜劇を、しっくり味併せてくれる」。
ジュンパ・ラヒリがイタリアに移住してからの2冊は読みましたが、その前に書かれた長編小説「低地」が読んでなかったことに気が付いて、慌てて購入しました。470ページもある長篇なので、読み始めることができるか、心配です。
以下の文章は、「べつの言葉」を書いた時のものです。
ジュンパ・ラヒリ:
1967年、ロンドン生まれ。両親ともカルカッタ出身のベンガル人。2歳で渡米。大学、大学院を経て、1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞、同作収録の『停電の夜に』でピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年、長篇小説『その名にちなんで』発表。2008年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。2013年、長篇小説『低地』を発表。家族とともにイタリアに移住し、2015年、イタリア語によるエッセイ『ベつの言葉で』を発表。『わたしのいるところ』は初のイタリア語による長篇小説。
中嶋浩郎:
1951年、松本生まれ。東京大学教育学部卒業。フィレンツェ大学留学。フィレンツェ大学講師を経て2019年8月現在広島在住。著書に『フィレンツェ、職人通り』『図説 メディチ家』、訳書にジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』、ミレーナ・アグス『祖母の手帖』、『ルネサンスの画家ポントルモの日記』、ステファノ・ベンニ『聖女チェレステ団の悪童』など。
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朝日新聞:2021年4月10日
「ひもとく」離れて共に読む(下)
早稲田大学教授(アメリカ文学)都甲幸治