赤坂真理の「愛と暴力の戦後とその後」(講談社現代新書:2014年5月20日第1刷発行)を読みました。購入したのは発売されてすぐ5月の末頃、「大人の休日倶楽部パス」を利用して4日間の旅行中、移動の車中や宿泊したホテルで読みました。
赤坂真理は1964年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。アメリカで高校時代の1年を過ごし、挫折感を抱えて帰国し、その地であったすべてを呑み込んだままで、今日まで30年近くの時を過ごしてきました。
なにしろ本のタイトルが凄い、いかにも挑戦的なタイトルです。「ちょっと変わったタイトルは、私の実感から来た」と、読書人「本」2014年6月号で赤坂は述べています。「愛が暴力的な態度で語られた時代に私は育った、という実感から。そして“戦後”とは、暴力を収めようとして収めどころを見つけられていない時代のように、私には感じられてきた。愛を説くその姿勢が暴力的だった。その建前さえもなくなって、暴力的なことをむきだしで言っている(暴力を笑顔で語っている)、というのが、最近の自民党政権ではないかと思う」と続けています。
「愛と暴力の戦後とその後」の「まえがき」を読んだだけで、おおむね「東京プリズン」と問題意識が重なっているだろうと想像がつきました。同じ著者なので、当然と言えば当然ですが・・・。その「東京プリズン」」(河出書房新社:2012年7月24日初版発行)、僕が読んだのは発売されてすぐでしたが、その後、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞しています。2014年7月8日には、わずか2年で文庫化されて発売されるようです。
「『東京プリズン』という小説は、私が15、6歳から抱えることになった鬱屈を、象徴的に書いてみようとしたフィクションである」、と赤坂は言います。「評論や研究では、感情と論理をいっしょくたにすることはタブーである」としながらも、「日本の近現代の問題は、どこからどうアプローチしても、ほどなく、突き当たってしまうところがある」。「それが天皇。天皇が近代にどうつくられたかという問題」、「だが、天皇こそは、日本人が最も感情的になる主題なのである」と、赤坂は言う。
「私には、戦後の天皇は素朴な疑問であり続けた。なぜ、彼は罪を問われなかったのだろうと。なぜそれを問うてもいけないような空気があるのかと」。「そこで、私はいかにもアメリカ的な方法論を小説に導入してみた。ディベートという言論競技である。ある論題に対し、肯定か否定の立場のどちらかに強制的に立って、自分の立場の正しさを、『立証』する。小説内ロールプレイとも言える」。その論題は「昭和天皇は戦争犯罪人である」、でした。
たまたま朝日新聞の「論壇時評」(2014年6月26日)に、「『アナ雪』と天皇制」と題して高橋源一郎は書いています。赤坂真理は「雅子妃」の娘である「敬宮愛子様」について、深い同情をこめてこう書いている、として以下のように引用しています。
「生まれてこのかた、『お前ではダメだ』という視線を不特定多数から受け続けてきたのだ。それも彼女の資質や能力ではなく、女だからという理由で。(略)ゆくゆくは彼女の時代になることを視野に入れた女性天皇論争も、(略)秋篠宮家に男児が生まれた瞬間に、止んで締まったのだ!(略)彼女は生まれながらに、いてもいなくてもよくて、幼い従兄弟の男児は、生まれながらに欠くべからざる存在なのだ。なんという不条理!それを親族から無数の赤の他人に至るまでが、(略)ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ」。
赤坂は言う。「どこまでも、近代天皇制であり、近代以前の天皇のことではない」と念を押します。「わたしたちが知っている「天皇制」は近代に生まれたもので、たかだか百数十年の歴史しかなく、それに先立つ二千年近い「天皇制」の中に、近代のそれとはまったく異なる原理が混じっていた」と、原武史も「皇后考」(群像で連載中)で言う。
「そうだ、そうだ」と納得する箇所は、次々に出てきます。東京オリンピック誘致のプレゼンテーションで、「フクシマの事態はコントロール下にあり、東京は安全です」と安倍首相が言い切った話。そんなことはあり得ないのですが・・・。別のプレゼンテーションで滝川クリステルが噛んで含めて教えるように「お・も・て・な・し」と笑顔で言ったこと。一昔前はスッチーになっていた日本女性が、今は女子アナに流れたこと・・・。彼らは一致団結して笑顔とソフトな物腰で、すべての冨を東京に一極集中させると宣言。そのためにはフクシマはおろか他の地方都市はどうなってもいいと笑顔の下に隠した。
ジョン・ダワーの書いた「占領期の日本には何か性的な匂いがした」という一節を引き合いに出します。私は占領期の日本とは、来る者への「お・も・て・な・し」だったのかと。在日米軍の扱いも同じ、予算は「思いやり予算」というネーミングだし・・・。私たちは、私たち自身を一度完膚なきまでに叩きのめし鬼畜とまで思った相手に打って変わって優しくされたことで、彼らを愛してしまい、彼らもまた、気持ちよくしてもらったことが忘れられずに、私たちを手放さない。
著者紹介:
赤坂真理(あかさか・まり)
1964年、東京生まれ。作家。1990年に別件で行ったバイト面接で、なぜかアート誌の編集長を任され、つとめた。編集長として働いているとき自分にも原稿を発注しようと思い立ち、小説を書いて、95年に「起爆者」でデビュー。著書に『ヴァイブレータ』(講談社文庫)、『ヴォイセズ/ヴァニーユ/太陽の涙』『ミューズ/コーリング』(ともに河出文庫)、『モテたい理由』(講談社現代新書)など。2012年に刊行した『東京プリズン』(河出書房新社)で毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞・紫式部文学賞を受賞。神話、秘教的世界、音楽、そして日々を味わうことを、愛している。
この本の「まえがき」には、以下のようにあります。
これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。私は歴史に詳しいわけではない。けれど、知る過程で、習ったなけなしの前提さえも、危うく思える体験をたくさんした。そのときは、習ったことより原典を信じることにした。少なからぬ「原典」が、英語だったりした。これは、一つの問いの書である。問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。
内容紹介:
なぜ、私たちはこんなに歴史と切れているのか?あの敗戦、新憲法、安保闘争、バブル、オウム事件、そして3・11……。<知っているつもり>をやめて、虚心に問うてみたら、次から次へと驚きの発見が噴出!『東京プリズン』の作家が、自らの実体験と戦後日本史を接続させて、この国の<語りえないもの>を語る。
目次:
プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語はどこまで私たちのものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 一九八〇年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
終章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために
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