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角田光代の「私のなかの彼女」を読んだ!

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watashi


今年の2月頃だったと思いますが、朝日新聞読書欄に、角田光代の最新作「私の中の彼女」が取り上げられて、作家の三浦しをんの書評が載っていました。同じ頃、新聞下段の本の広告で、角田光代の「紙の月」が載っていました。なぜかこの2冊を、後先も考えずアマゾンで購入してしまいました。


「紙の月」(角川春樹事務所:2012年3月8日第1刷発行、2013年12月8日第7刷発行)の広告には、第25回柴田錬三郎賞受賞作、「映画化決定!主演:宮沢りえ、監督吉田大八」(2014年11月公開予定)とありました。あとで知ったのですが「紙の月」は、原田知世の主演でNHKでテレビドラマ化され、2014年1月7日から全5回、放映されたようです。「紙の月」は購入しただけで、まだ読んでいませんが・・・。


角田光代の本は2005年、132回直木賞受賞作の「対岸の彼女」を読みましたが、これ一冊だけしか角田の本や読んでいません。ブログに書いたものを読み直してみると、なぜこんなものが直木賞を受賞したのかと批判的で、疑問を呈していました。また角田の原作で映画化された「八日目の蝉」、第35回日本アカデミー賞の最優秀作品賞を始め10冠を制しました。「八日目の蝉」は、TUTAYAで借りたDVDで2度ほど見ました。小説としての作品は読んでいないので何とも言えませんが、これは配役もよかったしよくできた映画だと思いました。


角田光代の「私のなかの彼女」(新潮社:2013年11月30日発行)を読みました。角田は池上冬樹との対談(09年2月)で、デビューするまでの葛藤を、以下のように語っています。


デビュー前に私は、(早稲田大学の)文芸学科という創作科で、ゼミで小説を習っていたんです。そこでとにかく小説を書いて先生に見てもらっていたんですが、20歳くらいで一度自分が望まないジャンル、ジュニア小説の分野でデビューしたんですね。 いまふりかえってみても、自分がやりたいと思っていないジャンルで働かなければいけないのは、ひとつの苦悩でした。そこから抜け出すために3年間、文学賞に応募し続けるのですが、最終までいっても落ちてしまうんですね。最終までいって落ちるということは、押しがひとつないんだと思って、その押しはなんなのかとすごく考えていましたね。


その押しはなんだったんですか? という池上の質問に、角田は以下のように答えています。わかりませんね。でも、自分が文学賞の選考委員をするようになって思ったんですが、選ぶ基準って本当に簡単なんですよね。誰も書いてないものを書けばいいだけなんです。それがとても難しいんですが、そう考えると私が新人賞を受賞できたのは、誰も書いていなかったものが書けていたのかな、と思います。 そして続けます。私は嫌なものを書くのが好きなんですが、嫌なものを書いて喜んでいる作家って、あまりいないと思うんです。強いていうなら、それが私の個性かなと思っています。


これを読んで「私のなかの彼女」は、もうほとんど作家としての角田光代自身を書いている作品だということがわかりました。1980年代後半から20世紀初頭の20年におよぶ東京を舞台にした物語です。栃木県から上京した中流家庭の一人娘"和歌"の、大学入学直後からなんとか作家として身を立てるまでの"自伝的な(ような)"作品です。大学で年上の同級生、仙太郎と知り合い、二人は交際を始めます。仙太郎は、イラストレーターとして在学中からマスコミの寵児になります。垢抜けしない和歌には仙太郎は自慢の恋人であり、なにかと新しい世界を指し示してくれる大事な先導者でもあります。


仙太郎との結婚を夢見ていた和歌は、結婚をやんわりとかわされ、仙太郎のすすめで就職しますが、満たされない思いを抱えていました。正月に帰省した和歌は、実家の古い土蔵で母方の祖母・山口タエの写真を見つけ、また祖母が書いた小説を発見します。荒削りだが艶めかしい小説ですが、この小説が和歌の心に潜む書きたいという気持ちに火をつけました。小説を書き、新人賞を受賞し、会社を辞め、自分を満たしてくれる作家という仕事に邁進します。


あっという間に部屋は荒れ、洗濯物は脱衣所で山になり、取り込んだ洗濯物はテレビの前で山を作り、部屋の隅々に埃のボールと抜け毛があり、和歌が仕事部屋に使っている部屋はプリントした紙とファックス用紙と資料用の本とノートでほとんど畳が見えなくなった。トイレは黄ばみ、風呂のタイルの目路は黒ずみ、台所ではショウジョウバエが飛んでいた。仙太郎が料理を作るとき以外は、和歌は弁当やインスタント食品を食べた。食べないこともあった。・・・こんな状態ではきっといつか仙太郎に愛想を尽かされるだろうと思いながら仕事部屋に入ると、その心配すら忘れてしまうのだった。


「下地がなくても小説はかんたんに書けるものなんだ」「支えになるものがないといつか書けなくなる」、仙太郎には素養もないのによく小説なんか書けるものだと呆れられていたのです。そして予期せぬ妊娠の発覚、病院では胎児の心音が聞こえないと言われます。仙太郎には「あんな汚い生活をしているから」と言われます。母親は和歌を作家として認めないばかりか、「あんたが子どもを殺したんでしょう」とまで言われます。


しかし和歌の仕事の依頼は絶えずに続きます。女性誌などでコラムを書く「隙間の仕事」が増えるだけですが。ようやく仙太郎と対等の関係になってきました。一方、バブルが弾けて、仙太郎の仕事は落ち目で、時代から取り残されていきます。仙太郎から突然「来年、作品集が出たら、その印税でしばらく旅行しようと思うんだ」と言われます。「もしかして、別れようって言ってる?」と和歌は仙太郎を見ます。18から13年間、ずっと一緒にいた人と離れることは、和歌は怖かった。


和歌への依頼は引きも切らずにあり、出す本は二刷り、三刷りがかかった。歪んだ恋愛、奇妙な恋愛を描く作家という枠組みに、自分は入っているらしいと和歌は知っています。山口タエは、一冊の著作を出しただけで、作家にはならなかった。作家として名を成すことはなかった。けれど、自身の人生を生きた。だれかに強制されるのでもなく邪魔されるのでもなく、どこに向かうさだめ、その方向にしっかりと脚を踏み出しました。新たな「タエ物語」をそんなふうに思い描き、和歌はようやくタエをつかまえた気がしました。


20年前、学生と先生だった矢崎と、和歌はエジプトで会います。「フィールドワーク・・・前にやりたいと言っていたの、どうなった?」と聞かれます。「まだなんにも。・・・でもこういうふうに旅をして、いろんなものが見られたらいいなと思います」と答えます。いろんなものというのはつまり、人の暮らしだ、人の姿だと、今回知ったことを和歌は言おうとし、自分の抱える矛盾に気付かされる。人と関わることが恐ろしいのに、他者の姿を追いかけたい。人の近くにありたいのだ。その矛盾について和歌は矢崎に話したいと思います。


三浦しをんは、次のように言う。

さびしさの根源を白日のもとにさらし、しかしそれでも、誰もが「物語」をつむぎつづけるほかないのだと暗示する本作は、通じあえる一瞬の到来を願って、「物語」の檻のなかでもがき生きる私たちのために、この小説を読むあなたのために紡がれた、哀しいほどうつくしい物語なのだ。


出版社からの内容紹介は、以下のようにあります。

いつも前を行く彼と、やっと対等になれるはずだったのに──。待望の最新長篇小説。
「もしかして、別れようって言ってる?」ごくふつうに恋愛をしていたはずなのに、和歌と仙太郎の関係はどこかでねじ曲がった。全力を注げる仕事を見つけ、ようやく彼に近づけたと思ったのに。母の呪詛。恋人の抑圧。仕事の壁。祖母が求めた書くということ。すべてに抗いもがきながら、自分の道を踏み出す彼女と私の物語。


角田光代(カクタ・ミツヨ):略歴
1967年神奈川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、1997年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で1999年に産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年に路傍の石文学賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞を受賞。そのほかの著書に『くまちゃん』『私のなかの彼女』等多数。


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