長崎の人は、60年以上いろんなモンば背負うて生きてきた。そうやって繋いだ命ば、絶やさんようにとだけ考えてきたと。そいけん、こん街でこれからも生きて生きたか。
チラシには上のようにありました。日向寺太郎監督の「爆心 長崎の空」を観てきました。この映画の原作である青来有一の「爆心」を読んだのは、5年半ほど前のことです。その時、以下のように書きました。
「爆心」は、「釘」「石」「虫」「蜜」「貝」「鳥」という6つの作品からなる連作短篇小説です。「爆心」と言うタイトルは、広島と並ぶ長崎の原爆を意識したものであることは言うまでもありません。「釘」や「石」など、作品の一文字のタイトルも、直接間接に意味があります。作品は、長崎の爆心地周辺で生きる人々と、その日常をしみじみと描き出します。ひとつひとつはテーマも主人公も異なりますが、作品の底流には、縦糸には直接間接の被爆体験、横糸にはカトリック信仰という長崎の先祖伝来の宗教、これらがきめ細かくていねいに紡ぎ出されています。登場人物は鬱屈した秘めた思いを、長崎の方言で訥々と語ります。
さて、映画の方ですが、たくさんの命が失われた長崎爆心地周辺の街で、今を生きる人がめぐりあい、それぞれの過去を受け入れて、新しい一歩を踏み出す、という物語です。細部は原作に拠っているものの、映画では大きく二つの物語が、二人のヒロイン、一人は清水(北乃きい)、もう一人は砂織(稲森いずみ)、それぞれに進行し、そして交差します。
清水(きよみ)は、坂の上の団地に住む大学生の女の子、陸上部で汗を流し、医大生の彼氏とデートを楽しむ、何の不安もない日々を送っていますが、突然母親が心臓発作で亡くなります。しかもその日は母親と喧嘩して家を出て、彼氏とホテルのベットで行為の最中に母から電話がありました。母からの電話に出なかった後に母が亡くなったので、その時電話に出ていれば母は助かったかもしれないという、罪悪感で押し潰されそうな日々を送っています。留守電には「今日の夕飯はカレーです」との母からのメッセージが入っていました。
砂織は、娘を亡くして一周忌を迎える母親、一人娘を失った悲しみを癒すことができないでいます。ある日、彼女の妊娠が発覚します。また子供を失うのではないかという恐怖と、生みたいという思いで、彼女の気持ちは揺れ動き混乱します。夫はやり直そうと励ましてくれるが、彼女はなぜ娘を失ったのかという思いに支配されていきます。彼女の実家は、300年続くカトリックの家で、父も母も孫の死を「神様の思し召し」として、その試練を乗り越えようとしてきました。砂織の夫は新聞記者で、原爆の取材を行っています。娘の命日は8月10日、砂織は取材に奔走する夫に「娘の命日より、9日の方が大事なのか」と。
そうした不幸を抱える二人が、浦上天主堂の近くで、神に導かれるように出会うことになります。二人は共に大切な人を亡くしたことを知り、互いに心を通わせ、未来へと向かうことになります。また別の流れとして、自転車屋でアルバイトをしている青年と、東京から帰ってきている妹がいます。この二人も、心に深い傷を負っています。最後に清水が長崎の街を見下ろしながら、次のように語ります。「一歩上がれば景色が変わる。見えんかったものが見え始めて、見えとったものが見えんくなる」。北乃きいも稲森いずみも素晴らしいが、脇役がまたいい。柳樂優弥、佐野史郎、杉本哲多、宮下順子、池脇千鶴、石橋蓮司、等々。
以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。
チェック:長崎原爆資料館館長も務め、「聖水」で芥川賞を受賞した青来有一の連作短編集「爆心」を、『誰がために』『火垂るの墓』の日向寺太郎監督が映画化。キリスト教と深い関係がある被爆地・長崎を舞台に、母を亡くした少女と娘を亡くした母親が巡り合い、悲しみを共有しながら希望を見いだす姿を描く。導かれるように心を通わせていく2人の女性には、北乃きいと稲森いずみ。そのほか『すべては海になる』などの柳楽優弥、ベテラン石橋蓮司ら多彩な顔ぶれがそろう。
ストーリー:ごく普通だが幸せな生活を送っていた女子大生・門田清水(北乃きい)。ある日、何の前触れもなく母が他界してしまう。ちょっとしたことでけんかをしてしまい、そのことを謝罪できなかった彼女は後悔の念にかられ、母が亡くなったことを受け止められずにいた。一方、娘の一周忌が間近に迫る高森砂織(稲森いずみ)は、娘が亡くなってから悲しみに暮れていた。さらに自身が妊娠していることを知り、パニックになってしまう。やがて清水と砂織は、浦上天主堂周辺で巡り合い……。
「爆心 長崎の空」公式サイト
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