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パナソニック汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」を観た!

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パナソニック汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」を観てきました。ブログ告知キャンペーンに協力して招待券を2枚ゲットしました。10月後半はトルコへ行ったので、「ルオー展」へ行ったのは月が変わった11月5日のことでした。その時に書いた記事を以下に載せておきます。


「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展のご案内


「サーカス」ということで思い出すのは、「ピエロのクリちゃん」のことです。


♪ 笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために


さだまさし主演の映画「翔べイカロスの翼」は、かつてキグレサーカスに実在したピエロ役者の故・栗原徹さん(クリちゃん)をモデルに書かれた同名小説の映画化作品です。「道化師のソネット」(1980年)はその映画の主題歌です。昭和47年にカメラマン志望の青年が、写真を撮る為に訪れたサーカスの世界に惹かれて入団し、やがて「ピエロのクリちゃん」として愛されるようになりますが、52年に綱渡りの興行中に落下して、帰らぬ人となりました。


実は子供が小さい頃、水戸市の千波湖畔で子供を連れてキグレサーカスを見に行きました。もちろん「ピエロのクリちゃん」も見ました。僕らが見に行ったその1週間後、次の興行地で「ピエロのクリちゃん」が、綱渡り中に落下して亡くなったことを新聞で見て知りました。「翔べイカロスの翼」はインディーズ作品なので、一般には出回っていないので、見ていません。しかし「道化師のソネット」はさだまさしの代表曲として、未だに広くラジオなどで流されています。


映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」が今、話題沸騰です。ジェームズ・キャメロンが製作を務め、世界的に著名な「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショーをモチーフにして作られたファンタジックな愛の物語、だそうです。その「シルク」とはフランスのサーカスのこと。ただし、ちょっとめかした男と女が夜の愉しみを求めて行く手軽な歓楽の場の一つだったようです。ルオー時代に一世を風靡したサーカス場「シルク・フェルナンド」は猥雑ともいえる賑わいで名高かった、という。


「シルク・フェルナンド」はモンマルトルの中心地にあり、あのムーラン・ルージュからも遠くない。キャバレーとシルク・フェルナンドは客層も重なっていたという。ロートレックの「シルク・フェルナンドの女曲芸師」や「座る女道化師、シャ・ユ・カオ嬢」が描かれたもの、言われてみれば納得できます。つい最近、ブリヂストン美術館が新所蔵品として公開した、女曲馬師と馬の姿を描いた「サーカスの舞台裏」もあります。




「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」、 チラシには「享楽のパリで、サーカスを愛した男」とあります。ルオーといえば、道化師やキリストをモチーフにして悩める人びとの姿を、黒の輪郭線や濃厚に塗り重ねられた絵の具などで、数多く描いたことがよく知られています。正直言って、長い間、ルオーは僕が理解できない画家の一人でした。ブリヂストン美術館の「郊外のキリスト」(1920-24年)や「ピエロ」(1925年)を何度も観て、少し理解できるようになりました。


そのルオー、サーカスをこよなく愛していたのだという。なんと全作品の1/3はサーカスがテーマだったという。彼が最も愛したのは「道化師・ピエロ」でした。「道化師の画家」とも呼ばれました。しかし彼が描いた道化師のほとんどは、舞台の上の華やかなスポットライトを浴びている道化師ではなく、いわば舞台裏の、メークを落とした素の顔の道化師でした。「私たちはみな、程度の差こそあれ道化師なのです」と語ったという。罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在として、ルオーは道化師を描き続けました。


今回は、ルオー財団の特別展で、サーカスにまつわる作品の中から、日本初公開の絵画20点を含む90作品が公開されました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1幕 悲哀―旅まわりのサーカス

     1902-1910年代

第2幕 喝采―舞台を一巡り

     1920-1930年代

第3幕 記憶―光の道化師

     1940-1950年代


ルオーが道化師を描き始めたのは32歳の頃です。画家で師匠だったギュスターヴ・モロー美術館の初代館長を務めながらの創作活動でした。貧しい少年時代、きらびやかなサーカスの世界に夢中だったルオー。サーカスを思い出しながら、水彩に油彩を重ねるなど、複数の素材や技法で表現する「混合技法」を使用しています。「タバランにて(シャユ通り)」は有名なキャバレーのフレンチカンカンを描いた作品です。この時期のルオーの自画像は、写真を元に道化師に扮した自分の姿を描いていますが、ルオーの内面の葛藤が見られます。


36歳でピアニストのマルトと結婚し、4人の子供を授かったルオーは、やり手の画商・ヴォラールの目に止まり、作品が専属的に取引され忙しい毎日を送っていて、経済的にも恵まれた環境でした。この時期、充実したサーカス作品がズラリと並びます。なかでも注目されたのは、日本画でよくある「三幅対」。「小さな家族」、「傷ついた道化師」、「踊り子」の3作品が並んで展示されていました。これらはタピストリーの原画制作の依頼に応じたもの、もうこの3作品を観ただけで、僕は満足でした。


ルオーの道化師はやがて、救いを求めて生きる人間の象徴や、犠牲を伴う愛を体現したキリスト的存在へと一体化していきます。後年になるにつれて色彩は鮮やかさをまし、光輝き、描かれた人々の表情はますます穏やかになっていきます。「貴族的なピエロ」は、画家が目指した究極の理想的人間像に迫っています。女道化師を描いた「マドレーヌ」は、キリスト伝のマグダラのマリアを彷彿させる晩年の作品です。明るい色彩と健康的な笑顔は、観る者の心をほぐしてくれる作品です。



第1幕 悲哀―旅まわりのサーカス

     1902-1910年代





第2幕 喝采―舞台を一巡り

     1920-1930年代




第3幕 記憶―光の道化師

     1940-1950年代




「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」

ジョルジュ・ルオーの絵画作品の中で、サーカスのテーマは全体の3分の1を占めています。美術史全体においても、一人の画業の中でサーカスがこれほど大きな割合で取り扱われたことはないでしょう。ルオーは道化師を中心にサーカスにまつわる多様な人物像を描き、誰よりも優れた「道化師の画家」と呼ばれました。ロートレックやピカソなど近代画家の誰もがこの主題を取り上げるなか、ルオーがこのテーマを追及した理由は彼らとは全く異なります。彼は場末の市にかかる安サーカスや、うら哀しい旅回りのサーカスの特別に心を寄せ、その哀切さを通して人間本来の姿を暴き出そうとしました。「われわれは皆、道化師なのです」と自身が語るように、彼らは罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在であり、彼らを描くことは人間の背負う苦悩や絶望を問いただし、またそうした世だからこそ求められる恩寵や愛を描き出すことだったのです。本展では、パリのルオー財団の特別協力により、サーカスを着想源にしてルオーが描いた初期から晩年までの重要な版画と絵画が一堂に終結します。また、ルオーが実際に見たサーカスのポスターやプログラム、当時の新聞や絵葉書などの貴重な資料も初公開されます。19世紀末から20世紀初頭のサーカスやキャバレー文化を老いながら、ルオーの思想とサーカスとの接点を探り、ルオーがこのテーマを繰り返し描くことでなにを表現したかったのかを解き明かす展覧会です。


「パナソニック汐留ミュージアム」ホームページ


とんとん・にっき-ro1 「ジョルジュ・ルオー サーカス 道化師」

展覧会図録

2012年10月1日発行

企画:パナソニック汐留ミュージアム

編集:坂井基樹+竹見洋一郎(坂井編集企画事務所)

    浅野靖菜、合田真子

    安田由紀子/森かおる(青幻社)

展覧会・図録監修:後藤新治(西南学院大学教授)

執筆:後藤新治、山田登世子、増子美穂

    萩原敦子、宮内真理子、青木祥子

発行者:安田英樹

発行:株式会社青幻社



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