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「藤森輝信の茶室学 日本の極小空間の謎」を読んだ!

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「藤森輝信の茶室学 日本の極小空間の謎」を読みました。第1章茶室に目覚めたわけで、私と茶室として「私が茶室を手がけ始めたとき、それは実に消極的なスタートだった」と始まります。僕も茶室らしきものにかかわった経験があるので、ささやかながらその話から始めましょう。


昭和40年代の初め頃でしたが、清家清の「斎藤助教授の家」を施工した大工の棟梁が、中野に建てた茶室の図面を、僕はその棟梁の言われるままに書いたことがありました。茶室といっても8帖と水屋はあったと思います。たしか三菱銀行の役員の病弱の奥さんのための独立した住居として建てたものでした。その頃は建築の設計がどんな仕事なのかまったく右も左も分からず、もちろんその茶室に関しても同じでしたが、ただひたすら言われるままに図面を書いていました。そんな思い出が蘇ってきました。


藤森の本にも一行だけ出てきますが、僕が好きな茶室は堀口捨巳の「茶室礀居(かんきょ)」(昭和40年、1965)です。だしか「ディテール」という雑誌にも取り上げられていました。藤森も「名作茶室にはちがいないが・・・」と書いています。名古屋の料亭八勝館に増築した「八勝館御幸の間」の後に、堀口が手がけたものです。


その当時、大企業の本社ビルや、コンピューターセンターのようなものを設計し、その中に8帖2間くらいのの和室をつくりました。企業内で、社員のお茶とかお花とかのために使うための和室でした。そこで参照したのが堀口の「茶室礀居」だったというわけです。だいたいが数寄屋風でしたが、たしかに長押(なげし)は付きませんが、そうは言ってもまったく自由というわけではなく、「礀居」くらいのカチッとした感じも必要でした。そんな和室を数室つくった経験がありました。それも今はなつかしい思い出です。


茶室と言えば、大御所はさておき、石井和絋です。直島町役場の外装を飛雲閣の数寄屋で設計したことでよく知られています。彼の卒論は大徳寺の孤蓬庵忘筌の舟入りでした。石井の著作に「日本建築の再生 ポストアメリカンへ」(中公新書:昭和60年4月25日発行)があります。それを読んだときには、イェール大学建築学部への通勤や、アメリカ建築、そして日本建築の近代化として伊東忠太と丹下健三を取り上げた方に目が行ってしまいました。


が、しかし、今ざっと見直してみると、伊勢神宮に対抗する草庵茶室、古代神社の中世化、数寄屋のコンセプト、等々、なかなかスリリングな論を展開していました。それはとりもなおさず、藤森輝信よりも早くから極小空間としての茶室を取り上げていたということになります。また、藤森が石井和絋について一言も取り上げていないのはちょっと片手落ちのように思います。


まあ、それはさておき、今をときめく藤森照信、なにを書いても読みやすく、かつ一般受けする、しかし自説はそれなりにしっかりと主張している人、西の井上章一は別として、建築関係者には珍しい人です。なにしろ建築関係の人の著作は、なにを言っているのか分からないのがほとんどです。藤森の本業は、明治の建築や都市計画を扱う建築史家で、論も立ち、、最近では建築の設計もこなし、茶室の設計も10軒も以上もしているという、口八丁手八丁、なんでもできる人です。


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2010年8月、彼の実家にほど近い茅野市美術館で開催された「藤森輝信展」、その時に美術館の前庭につくった「空飛ぶ泥舟」(展覧会修了後、実家の畑に移築)、そして自宅の畑につくった「高過庵」をみる機会があり、衝撃を受けました。藤森の処女作である神長官守矢史料館(1991年)にも驚かされましたが。こういうのをパラダイムシフト、というのでしょうか?「藤森輝信の茶室学」には「藤森流茶室論」が載っていて、藤森流の建築の作り方、茶室の作り方の、これでもかと言わんばかりに種明かしをしてくれています。


第5章の建築家の茶室、あたりは、どうなんでしょう、一般の人はついていけるか?僕らはだいたい知っていることばかりですが。モダニズムと茶室をやや強引に結びつけてはいないでしょうか。第7章の茶室談義・磯崎新に聞くは、磯崎新の独壇場、さすがの藤森も相手が磯崎では聞くのが精一杯。「ジョンとヨーコの幻の和室」、この話は僕は初めて知りました。磯崎新が図面を書いて、数寄屋大工の中村外二に頼み、仮組のチェックまでしてロンドンに送ったが、ジョンとヨーコがアメリカツアーに出かけていて、麻薬問題でロンドンに戻れなくなって、その和室は宙ぶらりんになってしまった、という話です。


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「六耀社」の内容紹介
日本の極小空間=「茶室」の謎に迫る。利休はなぜ2畳という極限スペースの茶室をつくったのか。茶室に火が投じられたわけは。日本の極小空間の原点である「茶室」に、建築史家であり建築家である藤森照信が迫った渾身の書き下ろしです。茶室の始まりから現代の茶室までの歴史をひも解きつつ、藤森流のオリジナリティ溢れる茶室論がわかりやすい文章で展開され、茶室に詳しい人も、詳しくない人も楽しめる内容となっています。日本のアイデンティティの一つである「茶室」を改めて熟考できる1冊。最終章に、茶室を多く手掛けている、日本を代表する建築家、磯崎新との茶室談義を収録。


目次
1章 茶室に目覚めたわけ
2章 日本の茶室のはじまり
3章 利休の茶室
4章 利休の後
5章 建築家の茶室
6章 戦後の茶室と極小空間
7章 茶室談義 磯崎新に聞く
    だから、茶室はやめられない


藤森照信
1946年、長野県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専攻は近代建築、都市計画史。東京大学名誉教授。工学院大学教授。86年、赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を結成し、「建築探偵の冒険・東京篇」を刊行(サントリー学芸賞受賞)。91年、「神長官守矢史料館」で建築家としてデビュー。97年、「赤瀬川原平邸に示されたゆとりとぬくもりの空間創出」で日本芸術大賞、98年、日本近代の都市・建築史の研究(「明治の東京計画」および「日本の近代建築」)で日本建築学会賞(論文)、2001年、「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会賞(作品賞)を受賞。2006年、ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展で日本館コミッショナーを務める。著書に「建築探偵の冒険・東京篇」(ちくま文庫)、「日本の近代建築」上・下巻(岩波新書)、「藤森輝信の原・現代住宅再見」全3巻(TOTO出版)、「人類と建築の歴史」(ちくまプリマー新書)、「藤森輝信建築」(TOTO出版)、「建築とは何か」(エクスナレッジ)ほか多数。


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