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川端康成の「少年」を読んだ!

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川端康成の「少年」(新潮文庫:令和4年4月1日発行、令和4年6月25日5刷)を読みました。

 

川端康成、といえば、

「100分de名著」の今年の2月は、北條民雄の「いのちの初夜」を取り上げていました。

 

川端は、北條の原稿を読み、的確で愛情あふれるアドバイスを示し、作品の掲載紙を吟味して、その創作活動を支えた。

川端康成より北條民雄への書簡(1935年12月20日付)

「いのちの初夜(原題:最初の一夜)」の原稿を受け取ってまもなくしたためたもの。「凄い小説です。この心を成長させて行けば、第一流の文学になります」と褒めて、「早速発表の手続きをとりますが、急がないでください」と伝えている。

川端の推薦もあって文学界賞を受賞したとき、北條民雄はわずか21歳の青年だった。ハンセン病を患い、世間から隔絶された療養所生活の中で、「いのち」と真摯に向き合いながら精力的に執筆に励み、23歳で生涯を閉じた。

以上、「100分de名著」2023年2月、北條民雄「いのちの初夜」より

 

さて、川端康成の「少年」です。

 

お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。

相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎で特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがいのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寥がにじむ。川端文学の原点に触れる知られざる名編。

 

川端康成の「少年」は、以下のように始まります。

私は本年五十歳に達し、これを記念する心も含めて。全集を刊行することになった。・・・

存命中の全集だから作者自身が編輯(へんしゅう)するわけで、私はほぼ二十五年間の旧稿を一渡り見ることになった。自分の作品すべてに目を通すというような機会はこれまでになかった。やむを得ぬ必要がなければ自作は読み返せるものではない。

しかし私も、長い時間の物尺も折には持出すようになって来た現在、旧稿をまとめてみることには予期しない感慨も湧いた。

 

というわけで、大正5年12月14日の日記である。

 

起床の鈴の少し前、小用に起きた。おののくように寒い。床に入って、清野の温い腕をとり、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現(ゆめうつつ)のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の乾いた唇が彼の額やまぶたに落ちている。私のからだが大変冷たいのが気の毒なようである。清野は時々無心に眼を開いては私の頭を抱きしめる。私はしげしげ彼の閉じたまぶたを見る。別になにも思っていようとは見えぬ。半時間もこんなありさまがつづく。私はそれだけしかもとめぬ。清野ももとめてもらおうとは思っていぬ。

 

清野少年とのことは「湯ヶ島での思い出」にも長々と六七十枚書かれている。

「湯ヶ島での思い出」を書いた時私は二十四歳で大学生であった。また私は高等学校の時に清野少年あての手紙を作文として提出した。教師の採点を受けてから実際の手紙として清野に送ったと記憶する。しかし彼にも見せたくない部分は手もとに残した。それが今日まで保存されていて、原稿紙の二十枚目から二十六枚目まである。三十枚前後の長い手紙だったとみえる。書簡体に託した、これも思い出の記である。

 

してみると私は清野少年との愛を、そのことがあった中学生の時に書き、高等学生の時に書き、大学生の時に書いたわけである。

そうして今五十歳で全集を出す時に、その三つを読み消して見ることは私一個には感慨深い。

 

お前の指を、手を、腕を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していたと言ってよい。・・・いつも素直に僕のそばで眠ってくれたのはお前だった。僕はいつともなくお前の腕や唇をゆるされていた。

 

「湯ヶ島の思い出」は四百字づめ原稿用紙で百七枚書いてある。未完である。六枚目から四十三枚目までは旅芸人と天城を越えて下田へ旅をした思い出で、これを後に「伊豆の踊子」という小説に書き直した。踊子と歩いたのが大正七年で私はニ十歳、「湯ヶ島の思い出」を書いたのは二十四歳で大正十一年、「伊豆の踊子」は二十八歳の作である。そうして「湯ヶ島の思い出」の踊子の部分を除いた大方は、清野少年の思い出の記である。

 

僕がとくに興味深かったのは、大本教に関連した記事である。

伊豆では、大本教二代目教祖とその娘が湯から上がるのを、女中が熱心に見ていたこと。そして京都に清野を大本教の修業所に訪ねたこと、これも詳しく書いてあるが、ここではこれ以上触れない。

 

 

川端康成:(1899-1972)

1899(明治)32年、大阪生まれ。東京帝国大学国文科卒業。一高時代からの1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以後約10年間にわたり、毎年伊豆湯ヶ島に長期滞在する。菊池寛の了解を得て21年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。68(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。72年4月16日、逗子の仕事部屋で自死。著書に「伊豆の踊子」「雪国」「古都」「山の音」「眠れる美女」など多数。

 


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