円城塔の芥川賞受賞作「道化師の蝶」を読みました。アマゾンに頼んでおいたこの本が届いたのは1月29日、読んだのは上海旅行の行き帰りの飛行機の中でした。本の帯の表には「無活用ラテン語で記された小説『猫の下で読むに限る』。正体不明の作家を追って、言葉は世界中を飛びまわる」とあり、本の帯の裏には「帽子をすりぬける蝶が飛行機の中を舞うとき、『言葉』の網が振りかざされる。希代の多言語作家『友幸友幸』と、資産家A・A・エイブラムスの、言語をめぐって連関してゆく物語」として「現代言語表現の最前線!」とあります。
円城塔の略歴は、以下の通りです。1972年北海道生まれ。東北大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で文学界新人賞、2010年「鳥有此譚」で野間文芸新人賞、2011年、第3回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞を受賞する。他の作品に「Self-Reference ENGINE」「Boys Surface」「これはペンです」などがある。「道化師の蝶」で第146回芥川賞を受賞。とあります。
「道化師の蝶」は、90ページ弱の短編作品です。複数の語り手が旅をし、一貫した筋がなく、いわば新しさを狙った実験的な小説作品といえます。5章から成り立っていますが、それぞれの章を結びつけるものはなく、かといって、バラバラかといえばそうではなく、なにかしら法則めいたものはあるようです。「何よりもまず、名前があ行で始まる人々に。・・・諸々の規則によって仮に生じる、様々な区分へ順々に。網の交点が一体誰を指し示すのか、わたしに指定する術はもうないのだが、こうする以外にどんな方法があるというのだろうか」と、1章に入る前に書かれています。
さて1章では、「旅の間にしか読めない本があるとよい。旅の間にも読める本ではつまらない。なにごとにも適した時と場所があるはずであり、どこでも通用するものなどは結局中途半端なまがい物であるにすぎぎない」と始まります。。東京―シアトル間を結ぶ飛行中の出来事、キオスクで買った「腕が3本ある人への打ち明け話」が載っています。ぱらぱらとめくるくらいはしてみたものの、内容が頭に入ってきません。彼は無駄な抵抗はやめて、文字の動きを利用した本について考えます。エイブラムス氏は、年中旅客機で飛びまわっている男で、どこへという目的地はなく、ただ飛んでいるのを事業としており、やむをえぬ場合に限って空港近くのホテルに宿泊しています。
肥満した体をエコノミークラスの座席に押し込み、ワインを赤白1本ずつ頼んだあたりで、胸の内ポケットから一つの道具を取り出します。毛だらけの指の間に小さな捕虫網が現れます。鼻歌を歌うように軽やかに振ります。隣席のわたしを探るように横目を流し、途方もないことを語り出します。「私の仕事は、こうして着想を捕まえて歩くことなのです。旅の間というものは様々な着想が浮かび続けて体を離れ、そこいらじゅうに浮遊していく。物事を支えているのは着想で、事業というのは常に着想を注ぎこまなければ維持できない生き物で、こうして餌を捕まえて歩くわけです」。
A・A・エイブラムス、1952年、ミシガン生まれ。奇抜な経営方針により多種多様な会社を育て、ちいさな帝国を築いている。初期の大ヒット作、「飛行機の中で読むに限る」は、豪華客船で旅する富裕層の間に口コミで広がり話題となります。それほどの反響を呼ぶならばと一般書店が売り出しに出、豪華客船御用達のキャッチの本は飛ぶように売れました。実際のところ読み通した者は多くなかったらしい。エイブラムス氏はその奇行で知られ、銀色の捕虫網をトレードマークに採用し、彼の会社の製品にはどれもがそのマークがつけられています。
「捕虫網という会話のきっかけは、どこで思いつかれたのか」とインタビューで訪ねられ、「この網は実際に着想を捕らえるのです。あれは1974年、スイスに向かう機内で、顔を煽いでいた帽子の中に、蝶が1匹飛び込んだのに気付いたのです」。「飛行機の中に蝶がいたのですか」と問われると、「わたしは着想の話をしている。その蝶は帽子をすり抜けましたよ。この世のものではないという明白な証拠だ。同時に、見えているから物質なのです。実在しているのです」と答えます。その蝶はどうやら機内の他の誰にも、エイブラムス氏にしか見えない生き物だったらしい。
架空の蝶をモントルー・パレス・ホテルまで運び、たまたまそこに宿泊していた鱗翅目研究者に披露します。鱗翅目研究者は「架空の新種の蝶です。雌ですな」と、口の中でぶつぶつと言います。「正に道化師そのものだな」、満足気な鱗翅目研究者は「アルレキヌス・アルレキヌス、学名ですよ」と言います。その蝶の名前をもらって「A・A・エイブラムス」と、エイブラムス氏はそう名乗りました。
ここまでが第1章の要約です。第2章は、「さてこそ以上、希代の多言語作家、友幸友幸の小説『猫の下で読むに限る』からの全訳となる」と始まります。友幸友幸という奇妙な名前の由来については、異説が多く存在しますが、実際にその名前であったという公算は低い。アール・ブリュットに分類されることもある作家であり、生涯のほとんどは知られていない。当人の姿が見当たらないまま、多数の未発表作品が発見されたという。アウトサイダー・アートの担い手としては奇特なことに友幸友幸の原稿の発見場所は世界中、につに30数カ所に及んでいます。A・A・エイブラムスの配下による追跡調査の結果です。友幸友幸、生年不明。生地不明。世界各地を転々とし、現在のところ生死不明。
第3章は、こうして始まります。「台所と辞書はどこか似ている」。フェズの街の旧市街は世界有数の迷宮都市として知られています。束の間身を隠すにはもってこいの街。路地が路地へと繋がっていき網目をつくり、場所の表記はあてにならない。地図に記されてない道と、地図の表記とは異なる道。迷宮とは呼ばれているものの、住んでしまえばただの道へといつしか変わる。フェズ・ステッチ、フェズ刺繍は、この古都に伝わる伝統手芸で、布の表と裏に同じ模様が出てくるように刺していく。下絵の用意もなしに直接に、幾何学的なアラベスクを刺す。幾何学模様を刺繍するのに、幾何学の知識は要らない。体が先に動くのならば、頭を動かす必要はない。会話は指先で行えば足りる。
それは、シアトル―東京間の飛行の間の出来事になる。一人の女性が、胸元にのぞく銀色のチーフを取り出す。チーフと見えたものは実は袋で、袋には棒が附属している。一見絹と見えたのは、とても細い銀糸です。小さな袋の首を起こして口を開く。それは小さな虫取り網だ。「幸運を捕まえるための網」と、声が聞こえる。その網が捕まえるのは幸運ではなく、その網が捕まえたものが幸運となる。かつてわたしはそんな網を編んだことがあるに違いない。少し違ってあの網は、わたしが将来編むことになる網だと気づく。ふと隣り合った人物が、移動の中でしか読めない小説の話をはじめ、彼女の網はそれを捕まえる。以前どこかでそんな話を読んだなと思いながら。
第4章、「この5月、わたしはサンフランシスコにおり、冒頭の謝辞を書いている。出発までにこのレポートが仕上がらなかったおかげでそうなっている」と、始まります。謝辞は浮かばず、全く別の想念ばかりが浮かび続ける。今回わたしがやってきたのは、A・A・エイブラムス私設記念館への定期報告のためであり、年に一度は顔を出すべしと決められている。友幸友幸の捜索がわたしの仕事だ。エイブラムス氏は友幸友幸の捜索に多くの人員を雇用していた。誰も追いついたことがなく、足跡を見つけたときには既に姿を消しており、出入りの雑多な場所を選んで友幸友幸は渡り歩く。友幸友幸がどうして生計を立てているのかも、未だに謎のままである。
そんな人物を発見するのに、一体何ができるのか。わたしたちエージェントに与えられているのは網だ。ただ網を振り回すのを仕事にしている。何か実体が捕まれば、その実体を提出する。何かの着想が得られれば、その着想を報告書にして郵送する。A・A・エイブラムス私設記念館は、ただ網を振り回し捕獲物を郵送せよとエージェントに求める他は一切の説明を行わず、業務は個人の意志に任せるだけである。記念館が目論むのが、エイブラムス氏の悲願としての友幸友幸の発見なのか、量産型エイブラムス氏を清算することなのか、記念館自身にもわかってないのではと思う。
第5章、レポートを受け取った側の記述に変わります。「手芸を読めます。適した作品が与えられれば」。この私の説明は、面接に出てきた館員の興味を引いた。無造作に集められそのまま保管されたっきりも手芸品の分類は、館員たちの手に余った。いくつかの試験を抜けて、今は非常勤の職員としての扱いを受けている。夜には、文字を書いて過ごす。昼間の男が残した原稿を机の前に広げている。友幸友幸ではないあの人物。それは私の知らない言葉で書かれており、そこに何が書かれているかはわからない。私は悟る。何かの種類のこれは呪いだ。わたしの言葉を固めようとする種類の呪いで、思考を縛り、血を凍らせて細い血管を詰まらせていく。
見上げた先には出番を待つように年老いた男性が一人、足踏みしている。老人は、前置きもなく突然喋り出す。老人の言葉の響きに共鳴した蝶が空中で砕ける鈴音が、また新たに老人の声を作り出し林の中へ消えて行く。「君は網を作るのが上手いと聞いてね。色んな技を知っているとか」、「どんな網をお望みですか」、職業柄、反射的に答えてしまう。「とある種類の蝶を捕まえる専門の網さ。ただ蝶だけが捕まれば良い。蝶であるなら、現実だろうと架空だろうと、とっ捕まえる、そんな網さ」。老人は満足気に一つ頷き、遠い目をする。「今は趣味だが、昔は鱗翅目の研究者をしていてね。いま奇妙な蝶を持ち込まれたところなのさ。とある種類の特種な網でしか捕まえられない蝶らしい」。「作ってみましょう」とわたしは答えます。
さてこそ一冊の本を脇に挟んで、鱗翅目研究者はテーブルへ戻る。得意の絶頂にあるエイブラムス氏の前の机へ、老人は一冊の本を広げる。蝶のスケッチには既に、アルレキヌス・アルレキヌスの名前が記されている。「あなたは蝶を捕まえてなどいないのですよ。蝶が勝手についてきただけだ」。エイブラムス氏が慌てて帽子を引き寄せて、蝶へ向かって振り下ろす。蝶はすっぽり帽子に捕らわれ、ややあってからすり抜け羽ばたく。道化師の模様をひらめかせつつ。声にならない呻きをもらすエイブラムス氏の傍らに、老人がどこからか小さな銀色の捕虫網を取り出して立つ。
スナップを効かせて蝶を捕まえる。袋の中で蝶が羽ばたく。エイブラムス氏は囁く。「着想を捕まえる網だ」。「まああまり乱用されぬのが良い。あなたの身も滅ぼしましょうし」、老人は網をエイブラムス氏の手に押し込んで、右手の蝶を宙へと放ち、わたしに向けて大きく手を振る。わたしはこうして解き放たれて、次に宿るべき人形を求める旅へと戻る。わたしは男の頭の中に、卵を一つ生みつける。言葉を食べて、卵から孵る彼女は育つ。こうしてわたしは思考を続ける。
朝日新聞によると、「道化師の蝶」は4回目の投票で決まったという。黒井千次選考委員は、「部分的には面白いが推せなかった。新しさというものは古さに拮抗して古さの円熟を超えるものでなければダメだが、現時点ではそうは思わない」との評でした。他の委員は新しさに注目し、特に島田雅彦委員と川上弘美委員が推したという。
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